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逆さづりにして振り回す
虐待サバイバーのゆうかです。
私は姉妹の中でも一番激しく怒られました。
理由は色々あるのですが、私が父の標的になっていたのは確かでした。
4人姉妹の2番目である私は、頑張り屋で負けず嫌いで頑固でした。
そんな私は父に殴られても泣かないように耐えたり、怖くないふりをしていました。
そんな私を父は可愛くないと思ったのか、殴る手をなかなか止めてくれないことがありました。
また、私は責任感が強かったせいか、家族を父の暴力から守らなければと思っていました。
父の機嫌が悪くなり、何かの犯人捜しが始まると、私はすぐに「それは私です」と、名乗り出ていました。それでたとえ殴られても叩かれても、です。
もちろんそれは嘘だったのですが、誰も名乗り出ないと父の怒りがおさまらないのです。私が名乗り出さえすれば、私が殴られ罵倒されはしますが、いつか終わる時がくるのです。
私が、それを続けているうちに、父は私がイライラの原因を作っていると思い込んだのかもしれません。
父は何かある度に、「またゆうかだな!」と怒鳴り始めるようになりました。
否定しても一切聞いてくれることはありません。肯定しても否定しても結果は同じです。
怒鳴られ、殴られ、叩かれ、罵られ続けるのです。
私が小学生だったある日、父は私の両手両足をきつくきつく縛り上げました。
そして、逆さづりにしたのです。
父は肉体労働をしていましたし、筋肉隆々の体付きでしたので、小学生女児を逆さづりにすることくらい、お手のものだったのです。
そして、そのまま私はグルングルンと振り回されました。今考えてもゾッとする光景です。
その時、他の姉妹は周りに座ってそれを見ていました。
もちろん、父が怖いので誰も何も言いませんでしたが、無表情で私を見ていたと思います。
近くに母もいたような気がします。
私にとってその時間は、恐怖と苦痛と屈辱感が入り乱れる、恐ろしい時間でした。
父は容赦してくれませんでした。
私は泣くことも叫ぶことも、助けを求めることもできませんでした。
この出来事は、私にとって忘れられない出来事のひとつですが、あまりにも辛くて最近まで記憶から消していました。
日記を読んで、よみがえった40年前の記憶です。
私は両親を憎むことすら疲れ切ってしまいました。憎んでももうどうにもならないからです。
けれど、私がされたこと、全てについて決して許すことはできません。
我が子にそんな仕打ちができるなんて、どう考えてもあり得ないと思うのです。
私も子を持つ親ですから、どうしても考えられないのです。