病気になりたかった
虐待サバイバーのゆうかです。
私は子供の頃、キレイなビー玉に願いを込めて「病気になりますように」と必死に祈りました。
また、夜中にわざとお腹を出して寝たりもしました。腹痛持ちの私は、いつも父が温めてくれたので、冷やせば病気になると思ったのです。
病気になりたい理由は、病気になれば両親に優しくしてもらえるからです。
父も母も病気になった私には、とても優しく、特別扱いをしてくれるのです。
プリンを買ってくれたり、りんごをすってくれたり、1日中布団の中でテレビを観ることを許されるのです。
しかも、私達は、4人姉妹でしたので、自分ひとりに注目してもらう時間は、なかなかありませんでした。でも、病気になると両親は自分だけを見てくれるのです。それがとても嬉しかったのです。
さらに、4人のうち、ひとりでも病気になると、父が虐待父に豹変することはないのです。家に病人がいる時に、父が暴れたり暴言を吐いたり、暴力を奮うことはありませんでした。私の記憶では。
だから、小さな私はビー玉に願いを込めて、病気になるよう必死で祈ったのです。
父に虐待されることは、どんな病気の辛さよりも上回っていました。
病気によるどんな痛みや苦しみも、虐待を超えるものはありません。大人になった今でもそう思っています。
だから、いまだに私は、自分を粗末に扱っているような気がします。病気になってもいい、むしろ病気になりたいと、思っているのです。
私は、花粉症を始め、しょっちゅう小さな病気にかかります。そのたびに私はマメに病院にいくのです。
大きな病気にはかかったことは一度きりで、様々な小さな病気を経験しています。
けれど、その様々な病気にかかることが、自分にとってそれほど苦痛ではないことが自分でも不思議でした。
自分が自分を大切にしていないことすら気付いていなかったのです。
病気にならないと自分を大切にしてもらえない、愛してもらえない、病気になれば虐待されない、という思いが、無意識の部分に刷り込まれてしまい、いまだにそこから逃れられずにいるのです。
自分を大切にしていないと気付いた時に同時に、その理由にやっと気づいたのです。