ベージュのカーディガン
虐待サバイバーのゆうかです。
小学生の頃の話です。
私には、父への発言権はありませんでした。
服や靴を選ぶ時、自分の好みを主張することは一切できませんでした。
絶対服従でしたので、主張できるとも思っていませんでした。
ただ、両親が選んだ服や靴を黙って着ているだけでした。もっとも、私に姉がいたのでほとんどが、お下がりでした。
私は、なぜか、目立ちたがりで負けず嫌いの性格でしたので、小学生の時は、一年中半袖を着ているような子供でした。
真冬も、顔は平気なふりをして、やせ我慢して、何が何でも決して上着を着ませんでした。同じように、一年中半袖半ズボンの男子がいましたので、負けたくなかったんだと思います。ただの小学生の強がりです。
ある冬の日に、そんな私を見るに見かねた父がカーディガンを買いに行こうと言い出したのです。
これで私は次の日から、半袖投稿は出来なくなってしまいました。カーディガンを強制的に着ることになってしまったのです。
で、カーディガンを買いにデパートに連れて行かれました。
負けず嫌いの私は、なるべく薄くて寒そうなカーディガンを選ぼうと思っていましたが、もちろん私に選ばせてはもらえず、父が選んたカーディガンに決定しました。
そのカーディガンは、ネイビーとベージュの2色でした。
私は、ベージュが気に入ったのですが、父がネイビーを選び、試着するように言われました。
私は、ベージュが良いとは言えず、そのままネイビーで決定になりました。
この話は、父に脅されたわけでも高圧的に言われたわけでもなく、暴力を受けたわけでもありません。
それなのに、この話は30年以上たった今でも私の心のシコリになっています。いまでもハッキリと恨んでいるのです。
常に、父に絶対服従だった私が、植え付けられた恐怖心のために、自分の気持ちや要求を言えなかった小学生の私が、両親に対して好きな色さえも伝えられなかったことが、とても大きな問題だと思うのです。
好きな色さえも伝えることを許されなかった私は、自分の気持ちや感情に、いつしかしっかりと蓋をしてしまったのです。
今では、感情を押し殺しすぎて、自分の気持ちが、わからなくなってしまっています。
普通の人なら、とても簡単な「好きなもの・嫌いなこと・やりたいこと・やりたくないこと・嬉しいこと・感動すること」が、簡単にはわからないのです。信じられないような話ですが…。
好きになるべきもの、やるべきことなど、「べき」で考える癖がついてしまっています。
このことが、今の私の生きづらさに大きく影響していて、まだ苦しみから逃れられない一因にもなっているのです。