地元の中学には男子バレー部がない♯1
息子は小3の時に漫画「ハイキュー」によりバレーボールと出会う。
興味を持った姿を見て、私は自分の試合に息子を連行した。バレーもやりたい。そんな息子の言葉を聞いた私は凄く嬉しかった。
すでにスイミングとサッカーをやっていたのだがチームスポーツの掛け持ちは、なかなかスケジュールが難しかった。試合が重なる時、どちらかを選ばざるを得ないからだ。サッカーは特に問題は無かったが、バレーは違った。1ポジション人が変われば全てが変わる…と言ったら過言かもしれないが、やはり影響は大きかった。当時の監督は気のいいおじいちゃんだったので何も言われなかったが、私が耐えきれず、どちらかを選んで貰うことにした。
息子の応えは『バレーボール』だった。
頭を使うのが好きな息子は色々考えながらするバレーにどっぷりハマったかの様だった。当時は体力が無くサッカーのフィールドを駆け回るのは苦手と本人なりに思っていたようだ。
練習すればするほど上手くなる。上達する。楽しい!勝ちたい!そう思うようになった。嫌いな体力作りにも積極的になっていく。それまで学校の持久走はビリに近い。それがあっという間に学年2位までに登り詰める。練習に疲れ、夕飯が食べられなくなることもしばしばあった。痩せてしまい、コレはイケナイと、おにぎりを作り練習の帰りに車内で食べさせたりもした。協力審判をする為に、私は審判資格を取得。通常なら小連で取るのだが今後も続けるつもりでクラブ連で取得。だが思わぬ功績もあった。
審判資格取得後、自身のプレーが変わったのだ。バレーボールへの理解が少し深まったのかもしれない。上手く行くようになると更にバレーは楽しい。きっと息子には背中で語れてたかもしれないと思う。バレーは楽しい!と。
小5になりキャプテンを任せられた時は、特に頑張っていた。序盤、チームは追い込まれていた。レシーバーは固まり、いつも取れるはずのスパイクも取れない。レセプションも出来ない。もう何も出来ない状態が続いた。このまま負けるか?!と大人達は思っていた。すると息子はベンチで私の使うホワイトボードを取り出し、(そう言えば試合前、借りるね!と持っていってた。)メンバーに戦略を伝えていた。当時のコーチ達はそれを見守ってくれた。先にも述べたが、元々頭を使うのが好きな息子。データを元に戦略を立てたのか!?あっという間に巻き返し、大会を優勝で終わらせた。もちろん、この時のコーチ達の声掛け、励ましが良かったのだろうとは思うが(笑)
だが、アナリストの素質を感じる1試合となった。
程なくして時が経ち、地元の中学に男子バレーが無いことを知る。人口が少ない為、町内の中学なら学区の学校じゃなくても通学が許可されていたので何も考えていなかったのだが、町内全ての中学校に男子バレー部は無かった。息子のチームは全国大会レベルまで上達し、この時すでに私より遥かに上手い。バレーを続けさせたい。
そこで私立の中学受験に踏み切ることにした。しかし、シングルマザーの私には塾に通わす事は出来ず、ダメ元での中学受験だった。とにかく学校の勉強を理解すること。あとは赤本をひたすらコピーし、お目当ての学校のテストの癖を習得させた。
見事、2校とも合格。
どちらも男子バレー部がある。さぁ!どちらにするか。1校はかなりの難関校。もう1校は中の上くらい。どちらも大学までのエスカレーター。受験の数(高校、大学)を減らして私は仕事に専念することにした。通学時間や学費、学校の特徴などを考慮し、息子は難関校の方を選んだ。これが息子のターニングポイントとなる。
入学金を支払い、いざ!入学式。
そこで息子は挫折することとなる。つづく。
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