生理さんーもしもみんなに生理があったら
雨の日を少しでも楽しく過ごせる工夫として、かわいい傘を買ってみたりするように、生理の日を少しでも楽に過ごせる工夫をすることは素晴らしいことだと思う旨を描いてきました。
ただ、私たちがこの社会で生きている限り、「社会の目」というものがあり、雨の日を楽しもうなんていうのは邪道だ!という定義の中で生きていかなくてはいけないこともあります。私個人の感覚ですが、「生理」は、「他人事」であり、「ドアの向こう側の問題」だから、そのドアを責任持ってしっかり閉めておいてね。とある一定のマジョリティから境界線を貼られているのを感じます。現状をわかって欲しくて、そのドアを開けようものなら「見たくないんだから、見せないで!というか、見せてくるなんて失礼だよ!」と反応されます。中には、見ようとしてくれる人はいますが、その人たちは境界線からこちらに入ってくることはなく、遠巻きに片目を瞑りながら見ているのに、「自分はちゃんと見ました」と言っているように感じています。もちろん、しっかり境界線をこえて見てくれる人はいるし、共感してくれる人もいるのですが、そういう人というのは、極端に少ないのではないでしょうか?
社会のルールを決めているのは、基本的に男性と呼ばれる人たちの中で、社会的優位性をもった人たちです。(二性論をするのは嫌なのですが、ここでは問題定義のためあえて男性と女性という言葉を使います。)男性には、基本的に生理がありません。(持って生まれた体の性と自認する性が異なる人の中には生理がある人もいると思います)
生理の経験がない。特に辛い生理の経験がない人というのは、なんでこんなに生理の話をしたいのかもわからないと思いますし、「まあ見た感じ、何十年もの歴史の中であなた達はなんとかしているようだし、現状なんとかなってるんだからいいじゃないか。特に大きな問題はないのではないか?」という思考になってしまうのも理解はできます。知らないのですから、問題にすらなりません。だけど、逆に「もし、社会のルールを決める人が、生理の経験をもったら現状は変わるのではないか」という気持ちになる人がいることも自然だと思いませんか?
まず、多くの人が、なんとかしなくてはいけない状態だから、なんとかしているのです。なんとかしたいわけではなくて、しなくてはいけない。当事者に選択肢があるかないかというのはとっても重要なポイントです。
オブラートに包まずに私の意見を言いますと、もし、社会のルールを決めている人たちに生理があって、生理痛があって、pmsがあったとすると、生理休暇は当たり前になると思いますし、生理が辛い人への社会的、精神的、経済的ケアはすごく手厚くなると思いますし、ピルは無料になると思いますし、生理用品は生活必需品なのに税率10パーセントなどという馬鹿げた法律は変わるのは必然的だと思います。ハラスメントやマイクロアグレッションも格段に減るでしょう。
生理のことだけではないのですが、「当事者じゃない人が当事者の権利、自由、生き方を決めている」というこの今の社会が、不自然でありおかしい制度なのです。南国に生まれ育って、寒い環境にいたことがなくて、雪も触ったことがない人が、「マイナス15度までは半袖を着ることをルールにします!」と言っているようなものです。中には、体質的に基礎体温が高く、半袖で構わないよ!という人もいるかもしれません。だけど大半の人が、半袖と決められている中で工夫をして、ヒートテックを重ね着してみたり、ホッカイロ貼り付けまくってみたりして、なんとか半袖でも過ごせるようにしますよね?寒くてしんどいからって長袖を着たら「え?長袖着るなんておかしいよ」「半袖が辛いなんて、あなたがおかしいんじゃない?」というハラスメントを受けます。だから、半袖だと死にそうに寒い!と思っている人も半袖で平気なふりをするのです。それをみて、寒い環境にいない人は、こう思うでしょう。「やっぱり半袖で大丈夫なんだ!自分の考え方は間違ってないな」と。そんな中、もう限界に来た寒い地域に住んでいる当事者が「半袖だと寒すぎるので長袖を着ても良いようにしてください!」と主張をするようになると、「え?今まで大丈夫だったんだから、大丈夫でしょ?あなたと仲間達だけが寒いってこと?他の人は大丈夫みたいよ?だとしたらあなたの主張は自分にとっての問題ではないです。」と否定してしまう。
要は、経験がないのでイマジネーションに限界があり、信じられないほど非現実的なことを言い出してしまう。それに気づかない。聞く耳を持てない。この例が馬鹿げていると思いますか?こんな馬鹿げたルールはこの社会に蔓延っていますよね。
これは、ガスライティングの記事でも書いたのですが、経験しないと人はわからない。「わかること」の限界というのは確かに存在しています。だから、「わからないということをわかってもらうこと」しか私には解決策が思いつきません。「わかって欲しいので、あなたも生理を経験してください。」と言ってもその人たちが生理を経験することはできないし、正直、一回経験したくらいでわかるものではないんですよね。こちらは、毎月生理がやってきて、毎月辛い思いをして、毎月血を流しているのですから。
こうなってくると、ついつい私はギブアップしたくなります。「もうこっちが頑張ったって、あっちはわからないんだからもうわからないじゃん。もう絶望的ってことですね。もう行き止まりですね。もう、泣きたい。無理じゃん。*遠い目」というゾーンに入ってしまうんです。でも、それは私の望んでいる未来ではないし、他の人の意見を私の意見として言うことはしたくないのですが、大半のアクティビストの方も分断を望んでいるわけではないのではないかと感じています。
結局のところ私は、わからない人にわかって欲しい。聞こえない人に聞いて欲しい。見えない人に見てほしい。一緒にわかり合いたい。一緒に聞きたい。一緒に見たい。だけど、わかりたくない、聞きたくない、見たくない人に対してのアプローチは、どうするのがベストなのか。私のアクティビズムは、迷惑行為なのか。自己中なのか。最近は、そんなことも考えてしまったりします。
生理の話からずれてしまいました。まとめます。
今回で、生理の話を一旦終わりにします。シリーズをマガジンにしておくので、お時間ある方は是非最初から読んでみてくださいね。このシリーズでは私の経験を意見をシェアさせてもらいました。生理の話はタブーではないし、楽に過ごせる工夫や知恵をみんなで話し合っていくことは大事なこと。なぜならそうすることによって、生理で辛い思いをしない人や、生理がない人たちが、生理で辛い思いをしている人の気持ちや辛さを受け止めていける社会になっていけるんじゃないかな。と思うからです。皆さんはどうですか?
<注意書き>ここに書いてあるのは、「私、一個人の考え」であることをご了承ください。当たり前ですが私の考えが全て正しいわけではないこともご了承ください。これはあくまでも「一つの考え方」です。私は専門家でも博士でもありません。私はある一定の個人を攻撃するためにこの記事を書いているわけではありません。私が正解で、他の考えの人は間違っている。とは言っていません。会話を始めることが大事だと思いますので、「間違っている」と皆さんが思うことを書くかもしれませんが、その際は是非ご指摘くださいませ。私の書きたいことは、場合によっては難しく、人と人が関わるトピックスには「一つだけの正解」などはないと思っています。だけれども考えていかないといけない問題なので、それを一緒に考えていきましょうという姿勢で書いていますので、どうぞよろしくお願いいたします。