昨日のお話のこと、創作のこと
こんにちは、ゆのまると申します。
昨日、突如【短編】などと表した4000字ほどの記事を投稿しました。
話の展開やハッシュタグからお気付きの方もいたかと思いますが、こちらはほぼ私の体験談です。親友と呼べる同期がいたことも、今は彼女と連絡を取らなくなったことも事実、彼女の誕生日がこの季節なのも本当のことです。
決して、自分の中で悪い思い出というわけではないのですが、いつものようにエッセイとして書くにはなんとなく気恥ずかしく、まだ気持ちの整理もできていなかったため、創作という形にしてみました。
一時創作なぞ小学生以来で、途中あまりの長編になりそうで焦ったりもしたのですが、なんとか思い描いていたイメージに落ち着いてほっとしました。それだけでなく、スキやコメントといったリアクションまでいただいて、本当にフォロワーの皆さまの温かさに感動するばかりです。
改めて、読んでくださってありがとうございました!
さてさて。
私は以前、書くことは「手放すこと」だ、という話をしました。
葛藤、僻み、自己嫌悪、悲しみといった、自分の中で抱えきれない生々しい感情も、文章という形で吐き出してしまえば、いったんは自分と切り離すことができます。
しかし、中にはそう簡単には手放せないくらい日が浅かったり、逆に長い間持ちすぎて自分と分離できなくなっているモノもあるかと思います。
そうした時に、「創作」というのは救いになるかもしれないな、と感じました。
私自身、中学生時代の心中荒れ狂う時期には常に小さなノートとペンを持ち歩き、詩という形でたくさん昇華させました。そのノートは今でも、実家の学習机の引き出しに眠っていますが、決して恥ずかしく開けない代物ではなく(後半は二次創作ネタなのでそういう意味では見たくないですが)、あの頃の自分に必要なものだったと思っています。
今後もエッセイが主体にはなりますが、自分でも持て余してしまうような感情の行き先として、創作という手段は覚えておいていいな、と思うなどしました。
……といっても、私は「物語は悲劇から生まれる」と思っているタイプかつ、性癖なのか思考のクセなのか、どうしてもキャラクターをつらい目に遭わせてしまいそうなので、次の作品がいつ完成するかは未定です。他の人の作品として読む分にはいいけど、自分が書くとハッピーエンドでは物足りないんだもの……。
というわけで昨日のお話のあとがきでした。もし興味を持っていただいた方がおりましたらコチラからどうぞ。
気付けば8月ももう終わり(!)ですね。昨日からまた暑くなりましたので、熱中症にはくれぐれもお気を付けください。私は昨日軽い頭痛と手足のしびれでダウンしてました。
ではまた。