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「昨日の自分」と「今日の自分」の連続性について

こんにちは、ゆのまると申します。

穏やかな日曜日、東京は今日もよく晴れています。バレンタイン前の休日ということで、お菓子作りに励む方も多いのかもしれませんね。


さてさて、今回はゆる哲学ちっくなお話を。といっても、私の感覚レベルの内容で、難しいことは出てきませんのでご安心ください。

皆さまは、朝起きた時に「昨日の自分とは違う」という感覚、ありますか?

「昨日までのぽんこつな自分とは違う!今日からバリバリ頑張るぞ!」といった精神論の話ではなく、「昨日の私」と「今日の私」に連続性を感じるか否か、ということです。

わざわざこんな記事を書くあたり、私は連続性を感じないタイプです。もちろん「記録」として、昨日起きた出来事も覚えてはいるのですが、それはあくまで「昨日の自分」が体験したこと。「今日の自分」はまだ何も起きていない、まっさらな存在だと感じるのです。

これはどうやら一般的な感覚ではないらしいと感じたのは、夫や整体のお姉さんなど、個人的なことも打ち明けられる親密な関係の人との会話を通してでした。私が事もなげに「昨日の自分とは違うから~」などと話しても、いまいちピンと来ている様子がなかったのです。


漆原友紀先生の名作漫画『蟲師』第2巻に、「露を吸う群」という話が収録されています。

今日も陽が昇り また沈む
朝咲く花が 首から落ちる
今日も陽が沈み また昇る
辺り一面 花が咲く
されど昨日とは 別の花

「露を吸う群」より

『蟲師』についての説明は割愛しますが、このエピソードには、ヒルガオを巣とし一日のうちにその生涯を終える蟲が出てきます。その蟲に寄生された少女「あこや」もまた蟲の時間に同調して、陽が沈むと生命活動を終え、翌朝になるとまた生まれ直すという症状が出ていました。

「あこや」は言葉を失い、昨日起きたことも覚えていることができません。ただその目には、一瞬一瞬が非常に目まぐるしく新しいものとして映っていました。

これはあくまでフィクションなので、一日の中で生まれ、死ぬという刹那的な生涯が描かれていますが、感覚的には理解できます。「昨日の自分」は眠りに就き、新しい「今日の自分」が生まれる。「あたらしくゲームをはじめる」というよりは、クリア時のデータを引き継ぐ「つよくてニューゲーム」という感じが近いでしょうか。


私は忘れっぽい人間ですが、昔から「今日の自分」という感覚があったわけではありません。むしろ、溜まる一方の仕事を抱えていた前職の頃は、否応なく「昨日の続き」をさせられていました。

それが徐々に変わっていったのは、やはり休職を機に、だと思います。

最もうつ状態がひどかった頃、私は夜になるのが一番怖いと感じていました。

昼間ほとんど活動しないせいでちっとも眠くならないし、暗闇の中でじっとしていると次々と忌まわしい過去がフラッシュバックしてきます。ようやく少しうとうとできたと思っても、また何もできない一日が始まるばかり。あの頃は、夜になるのが怖くてたまりませんでした。

そんな私が、穏やかに一日を終えて希望の朝を迎えられるようになったのは、やはり規則正しい生活を送れるようになったからだと思います。

夫の辛抱強い見守りの末、徐々に精神状態は安定し、そして退職したことで私を悩ませていた大きなストレスからは解放されました。そんな私がだんだん重要視するようになったのが、「毎日のルーティーン」です。

朝起きたらラジオ体操とプランクをする、カレンダーにご褒美シールを貼る、シャワーを浴びる、加湿器をセットするetc…

これらを、「毎日同じことの繰り返し」ではなく、「新しい今日を始めるための儀式」と捉えている節があります。それは寝る前も同じ。歯磨きをして、パジャマに着替えて、同じベッドに入る夫に「おやすみ、また明日」と告げる。そうすることで、一日を穏やかに終えることができるのです。

そんな日々の繰り返しの中でだんだんと、私は「今日を新しく生まれ直す」という感覚を身につけていったように感じます。

「昨日の自分」を引きずらないメリットはやはり、目の前のことに集中できるということでしょうか。どんなに苦しいこともそれは「昨日の自分」が体験したことであり、逆に楽しいことも「今日の自分」にしか堪能できないものです。

ルーティーンの繰り返しは、一見同じ場所をぐるぐる回っているように見えて、少しずつ人生を上向きにしてくれたのでした。


「昨日の自分」と「今日の自分」は連続しない。

そう割り切れるのは、私が他人様よりも記憶容量が少なく、鈍感力が高いからともいえます。そして一度死にそうなほど苦しい時期を味わったことも、結果的には私にとってプラスになりました。

皆さまの中にも、今日という日をぴかぴかの自分で生きているという方はおられますでしょうか。……こんなに大仰な書き方をしてきて、「何を当たり前のことを」と笑われてしまうとちょっと恥ずかしいのですが。笑

もしかしたら、お子さんがいると難しいのかもしれませんね。「今日のママは昨日のママとは違うのよ」なんて言い出したら、アイデンティティが確立しきっていないお子さんは混乱してしまうでしょうし。

「過去を悔やんでも仕方ない」、言ってしまえばそれと同じ方向性を持った考え方です。でも、もしかしたら背負っているものを手放し、目の前のことだけに集中できるようになるかもしれません。

「昨日の自分」は眠りに就き、新しい「今日の自分」が生まれる。その発想を、こっそりオススメしたくこんな記事を書かせていただきました。私なりのゆる哲学、またお付き合いいただければ幸いです。ではまた。

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箱崎ゆのまる
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