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大人一人生きるのだって大変なのに

こんにちは、ゆのまると申します。


「親ってなんて肩身が狭いんだろう」

そう思う出来事が、このところ立て続けて起こりました。


一つ目は、駅の階段を降りていた時のこと。

その階段はそこまで幅がなく、前には子供と手を繋ぐ親子が二組。わざとではないでしょうが、両側に広がって階段を塞いでいるような状態でした。

しかし今は土曜の午後。急ぐ人もそうおらず、その後ろを歩く私も特に気にしてはいませんでした。

そのうち片方の親が気付き、子供をさっと引き寄せて片側に寄りました。その後を駆け足で降りるような人もおらず、階段にはぽっかりと空間が。親子の会話は中断され、その親御さんは気まずそうにうつむいているのが見えました。


二つ目は、先日パートを終えてスーパーに寄った帰りのことです。

買い物袋を提げた私が角を曲がろうとすると、小さな男の子が飛び出てきました。とはいえ、その日は小雨が降っていて男の子のカラフルな雨ガッパが見えたので、ぶつかったわけではありません。私も(あぁ子供だ)としか思いませんでした。

すぐに、男の子の後を追ってお母さんが駆けてきます。何気なく顔を上げた私と、お母さんとでばっちり目が合いました。

すると、それまで男の子と楽しく話していたであろうお母さんの顔から笑みが消え、ぱっと真顔になるとこう言いました。

「ごめんなさい」

何かというと咄嗟に出る「すみません」ではなく、「ごめんなさい」。繰り返しますが、私と衝突したわけではなく、怒鳴ろうと片手を振り上げたわけでもありません。ただ子供が出てきた、と認識しただけで苛つきも迷惑だとも感じなかったのです。

それなのに、私より年上であろうお母さんに謝らせてしまった。……その時パート終わりで、相当ひどい顔をしていたのは確か、ですが。


大きな子供である私達夫婦は、今のところ家族を増やす予定はありません。それには経済的、社会的、心理的な諸々の理由がありますが、その一つには「賑やかなお子様が煩わしい」というのがあります。

フードコートやショッピングモールで喚き散らす子供と、それを見て見ぬふりな親。傍若無人なその振る舞いには、何度もうんざりさせられました。

「親子連れ」と一言で表しても、それは本当に千差万別です。そしてある意味、二極化しているとも感じます。つまり、周りに全く配慮しない親と、悪くもないのに怯えている良識的な親です。

昔のことも今のことも、子育ての現状はわかりません。でもそれでも、「なんて子育てがしづらいんだろう」とは感じます。

ごく一部の親子が周囲の迷惑も考えず振る舞う一方で、その他大勢の親子は心理的にも経済的にも締め付けられて肩身の狭い思いをして必死に生き延びている。縛られるものの少ない大人二人の生活をしていると、世の「家族」はどうしてもそんなふうに苦しそうに見えてしまうのです。

私が出会った親御さんも、きっとこれまでに見ず知らずの人に絡まれたり嫌な思いをしてきたのでしょう。面と向かって文句を言われたことはなくとも、突き刺さるような視線をたくさん浴びてきたはずです。だからこそ、自分と子供を守るためにまず「謝罪」というカードを切ることになってしまう。


私はそこまで人間ができていないので、「だから親子連れには優しくしよう」とか「もっと子育てしやすい環境になればいい」と大仰なことを言うつもりはありません。ただ、「これじゃ子育てなんてとても無理でしょ」とそれが素直な感想です。

そんな苦い思いをした帰り道、ベビーカーを押しながら幸せそうに笑う若い夫婦とすれ違いました。

こうしてこの国を、未来を悲観的に見つめる私のような人間がいる一方で、新たな命に溢れんばかりの希望を抱く人もいます。

どうかこの赤ちゃんは、親の申し訳ない表情でなく、明るい笑顔をたくさん見てほしい。厳しい現実に叶わない願いかもしれないとわかりつつ、そんなことを思った私なのでした。おしまい。

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箱崎ゆのまる
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