【エッセイ】サジェスト
わたしは検索エンジンのサジェスト機能に
ぞっとさせられることが多々ある。
ただ調べ物をしたいだけなのに
単語を打ち込んだその瞬間
無防備なこころをグサリと突き刺される。
サジェストとは鋭利な刃物だ。
しかし、怖いのに見るのをやめられない。
まさにホラーである。
例えば、検索エンジンに「かわいくない」と入力する。
サジェストにはこんな言葉が並ぶ。
🔍可愛くないのにモテる
🔍可愛くない赤ちゃん
🔍可愛くない女優
🔍かわいくない彼女
🔍可愛くない子供
🔍可愛く鳴いても
🔍かわいくない女
🔍可愛くない猫
🔍可愛くない後輩
🔍可愛くない犬
これはYahoo!のサジェストだ。
こわっ。めっちゃこわい。こわすぎ。
可愛くない犬猫なんて存在するはずがない。
次にGoogleのサジェスト。
🔍可愛くない
🔍可愛くない子供
🔍可愛くない 韓国語
🔍可愛くないのに可愛いと言われる
🔍可愛くない子供 特徴
🔍可愛くないポケモン
🔍可愛くない猫
🔍可愛くない動物
Yahoo!のあとだとすこしマイルドに感じるけど
可愛くない猫なんていないのでこれもこわい。
「かわいい」とはいったい全体なんなのだろう。
ちいかわとかいう生物が流行っているけど、
あれも震えるほどこわい。
わたしも1日のうち23時間くらいを
「かわいくなりたい」と祈りながら過ごしているけれど
それもよくよく考えればすごくこわい。
「かわいい」の語源は「顔映ゆし」で
顔を向けられないほど不憫だとか気の毒だとか
そういう意味の言葉だった。
それが中世後半になると
「愛らしい」といった意味合いに変化する。
かわいいという言葉を生んだのは
「かわいそう」という感情だったのだろうか。
スーパーやホームセンターで大声を出して
泣き叫ぶ子どもの姿が頭に浮かぶ。
お菓子やおもちゃを買ってもらえなかった、
もっと遊びたかったのに中断させられた、
友だちとけんかした、保護者に叱られた、などなど
理由はさまざま考えられるが、それにしてもそんなに
大きな声で泣かなくても、と思うことがある。
しかもそういった子どもたちのなかには
一滴の涙もこぼしていない子もいる。
全然泣いてないのに、顔を真っ赤にし、
首に筋を立て、ただただ叫ぶ。どうしてか。
わたしにはそういうときの子どもたちの心情が
わかるような気がする。あれはパフォーマンスだ。
子どもたちは「かわいそうな自分」を演出している。
それを、周りにいる見ず知らずの人間に示す。
試し行動のようなものだとわたしは思う。
「かわいそうがられる」は「かわいがる」なのだ。
自分のことを見てくれる
心配してくれる
かわいそうだと言ってくれる
これらは全部、愛情表現だ。
「かわいくない」と入力した時のサジェストは
あまりにもおそろしいので、頭の中ですべてを
「かわいそうじゃない」に変換してみる
かわいそうじゃない猫
かわいそうじゃない子供
かわいそうじゃない女
ほんとうにくだらない脳内変換だけど、
なんとなくダメージを減らせたような気がする。