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受付嬢京子の日常⑰〜冷える指先

「お気をつけて」

道案内をして送り出す原田京子の笑顔に、目の前にいた男は反応することなく無表情で去っていく。3月5日。まだ朝だと言うのに、人が多い。

人が多くなれば、道案内も多くなる。京子は、ふうっと息を吐いた。顔を上げると、同じく早番で出勤している片岡聖奈がにっこりと微笑んで道案内していた。

入ってきてから、お客様に笑顔で接さない。髪色が明るすぎる。足を引きずって歩いていて、いかにもやる気がない。業務中も愚痴や人の陰口ばかりだった聖奈と一緒にシフトに入る日京子は、仕事を見つけてはインフォメーションデスクから離れるようにしていた。

「先輩だから、色々教えてあげてね」

とリーダーの斎藤友美に言われて、最初の1ヶ月は色々と伝えたつもりだ。でも全く響かなかった。それ以上は自分の仕事じゃない。
京子と聖奈の登録している派遣会社の担当と友美の仕事だと思った。1年早く入っていても、同じ派遣社員という立場だ。気になることを言っていたら、陰口を言われてストレスになるのが目に見えていた。女子しかいない、同僚という立場。当たり障りが無いポジションでいるのが得策だ、と京子は思う。

1年近くどう変えることもできないと思っていた聖奈が、1ヶ月ほど前から歩き方が変わった。足を引きずらずに歩くようになった。
利用客に笑顔を向けるようになった。髪を手入れするようになった。メイクも綺麗にするようになった。

「事務所行ってきます」

聖奈が言う。どこか軽い足取りだ。何が起こっているのだろう。京子の疑問は存外早く答えがわかる。本人の口から。
「きついことしか言わないし、全然こっちに興味なさそうだったんで、腹たって。あそこの店の人のこと気になってるみたいだったから、真似したんです」
聖奈の視線は、近くの店舗で働く吉田洋子に向かっていた。
洋さんは確かに姿勢がいいし、笑顔も多い。「ちょろいもんですよ。晩御飯誘ったら、ok出ましたもん」

京子は、自分の手が冷えていくのがわかった。
聖奈は吉田洋子の見える部分を真似をしただけで、歩き方が変わり、きちんと化粧をするようになった。笑顔で接客をするから、物腰まで柔らかく見える。
仕事にやる気が出たのではなく、嫌な社員を見返したい気持ちになっただけで、これだけ変わるのか。

「あれ?彼氏は?」
「別れたんですよぉ。年下可愛かったんですけど、デートがしょぼすぎて、だんだん冷めちゃったんですよね」
シャム猫のような顔が意地悪くゆがむ。
「あ、でもご飯行くのはそんなんじゃないですよ。誘ったら、すごい動揺してて、面白くなっちゃって。どうせ働くならずっと嫌なこと言われたくないじゃないですかぁ」

聖奈が話しているのは、半年前に異動してきた山内のことだ。マネージャーという役職、ほぼ笑わない、ルールに厳しい、ということで聖奈は注意されることが多く毛嫌いしていた。
山内の異動から1ヶ月後、施設の館長が変わった。
この館長も、あまり笑っているところを見たことがない。笑っているように見えて、目が笑っていないのが怖い、と京子は思っていた。
それから5ヶ月間、聖奈だけでなくインフォメーションのスタッフは、何か注意を受けている。
新商品やキャンペーン品の見回りをしていると、店舗の人も注意を受けていた。
見過ごされてきたルール違反が瞬く間になくなっていった。事務所にも施設にもあったアットホームな雰囲気はなくなった。

聖奈は注意されるたびに、にっこり笑ってやり過ごしていた。「クビになったらどうしよう」という風には考えないんだなぁ、と羨ましい気持ちにもなった。
京子自身は派遣切りにあったこともある。いつ要らないと言われるかわからない、と注意されるたびにビクビクしてしまう。

なんでこんなに指先が冷たいんだろう。
店舗の前に出てきた洋子を見ていると、こちらを見てにっこり笑うのが見えた。



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北山 悠【主役力で小さな経営はうまくいく】
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