その限りではない、という言葉が好きな意味を考える。
私は「その限りではない」という言葉が好きだ。
大抵この言葉は、ルールや、何かを定義する文章の後に付けられる。
ルールや概念は、必要だ。けれど何事にも例外はある。そんな例外の存在を認める言葉が「その限りではない」という言葉だと考えている。
コントロールすることが大切
ここ数年、私は「手帳講座」や、発信を通じて、何度も繰り返し伝えていることがある。
・やりたいと思っていることを些細なことも含めて明確にすること
・やりたいことに対してできることをを具体的に細分化すること
・自分の時間をどの行動に当てられるかを先にスケジューリングすること
・時間は無限ではないから、優先順位をつけてやらないことを決めること
・時間に余裕を持たせてしっかり休息をとること
・何もできていないと思っている人は,実はちゃんとやってることがあると知ること
要するに、自分の能力や時間を把握して、シフト表を作るように、自分を割り振ってコントロールするのだ。
自分がやりたいと思う事は、大きな夢や目標でなくてもいい。毎日のTODOでもいいのだ。
トイレ掃除だって、豆腐を買う事でもいい。とにかくやろうと思って忘れないでおきたいことを、手帳に書き出して頭をすっきり空っぽにすることをお勧めしている。
少なくとも私はそうして、やるべきことを忘れてしまう落とし穴を回避し、一般パートでありながら店長や店長代理となり、店舗の売上を上げることに成功した。
そして手帳講座を受けた人からこんな感想ももらうようになった。
世界はアンコントロールなことで満ちている
元々私がこんな方法をとるようになったのは、世の中には人の手では、また、自分の手ではどうしようもないことがある、とわかっているからだ。
突然の地震で大叔母やその家族が家を失った。
病にかかる人がいる。
小さな子が命を失われるニュースを見る。
誰の元に生まれるか。
どんな環境で育つか。
会社に入ってからどんな場所に配属されるのか。
住む地域が変われば食べられるものが違う。
文化が違う。
自分がどんなに誠実に振る舞っても、感じられ方で責め立てられる。
この大地に住処を持っていて、人と暮らしていたら何があるかわからない。
アンコントロールなことが多く存在している。
だからこそ面白いとも言えるし、反面、何も準備していなければ「運」に任せることになる。
推測と判断と努力
「運」にまかせて生きることも、今の日本ならできるだろう。世界の国々の中で圧倒的に治安が良く、飢え死にすることが滅多にない国なのだ。
仕事は最低賃金かもしれないが、何かしらにありつける。
でも私はどうせなら「ありつける」仕事ではなく、「楽しめる」仕事をしていたい。
母親だから、仕事を諦める
仕事をしているから、ボランティアを諦める
やりたいことがあるから、本を読むのを諦める
どれも、無理だ。
私は母親でありつつ仕事ができる方法を考えたい。
仕事をしていながら、できる事で人の役に立ちたい。
やりたいことが多いから、オンオフスイッチをつけて、漫画も小説もビジネス本も読みたい。
だから、何が必要かを推測し、何を行うのか判断する。
自分をコントロールすることは、自分のための努力だ。
その限りではない。
今自分の中にある
毎朝のルーティーンに
「朝起きたら洗濯機を回す」
「お弁当を作りながら音声配信を聴く」
この2つがある。
この1年間で2回、起きてお弁当を作るべき日に起きれなかったことがある。
こんな時は、その限りではない。
他にも、子どもたちに家事を担当してもらっているが、担当者が遅く帰ってくる日、体調が悪い時などは、その限りではない。
コントロールをしようとする時でも、うまくいかない時がある。
こんな時は、「例外の時」と決めてしまうのだ。
ルールを決めたことでも、アンコントロールなことがある、と考える。
そうすれば、モヤモヤはなくなる。
ルールを決めて守ることが最上と考えてしまう人は、「その限りではない。」と口にしてみてほしい。
何を感じるかは、あなた次第。よければ何を感じたか、コメントしていただけるとありがたいです。
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