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利他→自己変容→セルフケアの話

flier book labo で近内悠太さんの哲学講座を3期連続で受けている。
この3期受けている中で、以前言語化できなかったことが、はっきりと言語化できるようになったと3期目に入る頃だろうか。自覚した。

それは、以前から何度も聞かれては、答えられなった、質問。

「なぜその状況でサバイブできたんですか」

というもの。

なぜその状況でサバイブできたんですかという問い

以前からいくつか自分の子ども時代の体験や想い、考えを書いているのだけれど、全部書き出してしまおうと始めたマガジン
「毒親ノムスメ」がなかなか書き進められない。
その事実を書いた時、「昔の苦しいことを思い出すのは辛いですよね」と寄り添ってくれた方がいる。
が、しかしその言葉に違和感を覚えた。少なくとも私は辛くて書けないわけじゃないな、と。

どちらかというと、楽しくないという言葉の方がしっくりくる。親に対し、あまりなんの感情もわかない。興味がないのだ。
だから書いていて楽しくない。

最近になって、これが恨み、つらみ、悲しみなどが湧き出ていた20代前半であればもっと早いスピードで書き進められたのだと気づいた時には、愕然とした。

あぁ、そうだ。10代の私は物語は見える映像をただ実況中継するように書いていた。今も、読書記録は自分の頭の中を書き写す。
新しい場所や、知った事も驚きや高揚感をフリックしながら投影しているだけ。
つまり自分の感情が揺れていなければ、文章が書けないのだ、私は。

過去の自分の話をするのに、起きた事象や感じたことはすでにある事実だからすらすら話せる。
一つ上の兄は、もっと若い頃に人に自分の生い立ちを話すたびに「盛ってるやろ!」と言われたぐらいのネタに事欠かない生活だった。

我が自治体の市役所のある方にも、起業支援をしているような人からカウンセリングをしているような人にも、淡々と話す私に、同じ質問が投げかけられる。
今、苦しい人をどう支援して良いかわからないから、と。

哲学講座を受けるきっかけ

元々、哲学は目の前にあるものを学問にしているから、自分は学ぶ意味がわからない、とすら思っていた。

ここ3年私の行動指針となっていた「世界は贈与でできている」の著者である近内悠太さん。

奈良BONCHIにて

最初はただただ、音声配信voicyの荒木博行さんとの対談が何度もあり、聴いていて、面白い近内悠太さんの、動く姿が見たくて参加した。
非常に失礼だが、本当に真摯な気持ちで参加理由も書いた。なんなら、哲学は目の前にあるものだから、学ばなくていいと思っていたということまで書く。
そんなことしてたのか?と思いますよね。
私がどれだけ失礼かを知らせたいわけではなくて、どれだけ“気軽に参加したか”を伝えたくて書いています。

4ヶ月の講座で動く近内悠太さんがあまりに面白いと思った私。
次の講座は“感情”に関するものだと知り、即申し込み。感情であれば簡単だし、女性の参加者も多いのでは?という推測のもとだった。
実際女性の参加者は多めで終始気軽な講座だった。

2回目の講座の課題本にもなった近内悠太さんのご著書を読む。この頃あたりから、ポロポロと何かが出てきていた気はする。けれどまだ言語化できる状態にあることを、私は知らない。

利他→自己変容→セルフケア

気軽な講座を受けていただけなのだけれど、今受けている哲学講座、私にとっては3期目となる講座の案内があったあたりから、
「自分は人をケアすることを繰り返して、自己肯定感を少しずつ取り戻したんだ」と言葉にするようになりました。

「子どもの頃はおせっかいだと怒られていたので、自分が気になっても手を出しちゃダメだと言い聞かせてきた。今も人の踏み込んではいけないところは、入らないようにしつつ、軽微なことはおせっかいしていい。その上で相手に断られても、それは相手の選択なのだから気にしならない」という今の状況を把握。

そして、人のあるがままを受け入れて、相容れない人とは付き合わなければいいだけ、と思えるようになったことが、今に直結していると気づけました。

それはなぜ?いつから?
そう振り返るきっかけが哲学講座での読み込みや合間の勉強会でした。
元々内省型の私は、自分を振り返りながら生きてきました。それでも自分の「傷」に気がつけたのは長男を産んでから。

その傷があるのだと認めた上で、自分はどうしたいのかを考えました。そうでもしなければ、傷から発生する感情で押し流されそうだったから。そして、その行為で自己嫌悪に陥って、自分に殺されると思ったから。
これ以上自分に嫌われないようにするには、どうしたらよいか。
最低限、自分の美学に反することさえしなければ、自分を今以上に嫌うことはないと自分で断言できたました。
では、自分の美学に反さないようにするにはどうしたらいいか、と。
自分の傷のかさぶたを触って剥がしては、また血を流す生活から、そのまま放置してかさぶたが自然と取れたような感覚。
他ところとは違う皮膚だから、何が傷だったかははっきりとわかるのだけれどもう何も痛くない。

書き残さねばという気持ち

ここまで書いてきて、ふと今の“傷”がわかるうちに書き残さねばという想いが湧いて来ています。なぜなら、“毒親ノムスメ”が書けなくなったように、今ならはっきりと答えられる「なぜサバイブできたか」という問いの答えも、楽しくなくなって書けなくなるだろうことに、気づいたから。

誰かのために行動する間に、自分の中の思い込みが変化して、それが自らの傷をケアすることになる。
「なんでサバイブできたのか」をごくシンプルに言い表すと「小さきものを守るという生きる意味ができたから」
生きるためにどうすればいいかを考えるきっかけをくれたのは間違いなく我が子たちなのだから

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北山 悠【主役力で小さな経営はうまくいく】
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