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自分の発信と小説。感覚の違い
音声配信をしていて、少しずつ登録者さんが増える。
亀の如き動きで52名。
初めてのコメントに興奮
先日初コメントが入ったと分かって、身体がグッと熱くなるのを感じた。
noteやSNSの記事も、音声も反応がある、なし関わらずやっていこうと決めている。
それでも、やっぱり反応があると、嬉しい。
さらに音声と同じ記事を読んでみたいということでご紹介したら、読んでくださって「わかりやすい」とコメントが。
やりとりが続くというのは、こちらもとても勉強になるなぁと感じながらコメント返信をした。
記事も音声も、自分から出たこと。
だからか、いつまでも身体が熱い。
落ち着くために水を飲んだ。
小説は作品だ
詩や小説を初めて書いたのは、12歳中学一年生の時だ。それまで小学校では授業で詩を書くことがあったが、特に好きでも嫌いでもなかった。
それが突然書きたくなったのは、何がきっかけだったか。
軟式テニス部に所属しながら、文芸部に入った。最初の文化祭で部が用意した“いわさきちひろ”さんの絵を見て詩を書く、という課題が出た。
ただ思ったことを書いた。
当時の高校3年生の部長が「才能が入ってきた」と言った。それが、自分の言葉を作品にしていい、と思った時のように思う。
1年後だったか、別の純文学が好きな先輩が「やばいやつきた、って思った」と言ってくれたのも、緩む頬を隠せなかった。
その後も詩や短編を結婚するまでは書いていた。
賞などに出したのは学生時代だけ。
学生時代は何人か集まって同人誌を作り、独身時代は仲間うちにだけ、まだ「テレホーダイ」の時代に深夜のチャットで作品を公開した。
素人が趣味で書いているとしても、詩や小説はイラストなどと同じく「作品」だと思っている。
そして作品の場合、コメントを頂けば嬉しいのは間違いないが、興奮はしない。
もう私から離れた物語なのだ。
初コメントで知った感覚の違い
音声配信を始めて7ヶ月。まだ新しい事だからか、初コメントでの“身体が熱くなる”ような興奮がなかなかおさまらない。
作品とは違って、私自身から分離されていないのかもと、仮説を立てている。
よくよく思い出すと、初めて詩を褒められた時は同じく興奮していたように思う。
褒められ慣れていないからだと、12歳の私は自分に言い聞かせていたが。
また、書く脳の違いもあると考えている。
小説を書く時、私の脳で動いているのは、映像を再生するところと、それを言語化するところだけ。
私が作為的に何かすることはない。
自分の発信をするときは、思い切り普段使う脳だ。
だから、自分から出たこと、という意識が強く残っているのかもしれない。
私が発信で作り出す世界は「ハードルが低い世界」だ。やりたいと思ったことを、実現しようと一歩進める世界だ。
お金が貯まってから起業する、が正しいわけじゃない。
時間に余裕ができてからボランティア活動をする、が正しいわけじゃない。
上手に書けるようになってから文章を書くのが唯一の道じゃない。
上手く話せるようになってから、音声配信をする、のが唯一の道じゃない。
まずは「やること」を前提にどうするのがストレスが少ないか、そんなことを自分に問いながら、一歩進んでみる。できる。
そのお手伝いをするために今、活動している。
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