受付嬢京子の日常⑬何も考えない日々
「最低。2週間前に染めたばっかりなのに、もう染めてこいって言われたんですけど」
片岡聖奈が、受付嬢らしからぬ低い声で顔をしかめている。隣で聞いている沢木佳奈は、苦笑いを浮かべるしかない。聖奈の髪色は確かに明るいからだ。派遣会社の人なら注意するだろう、と思いながら遅番で出勤してきたばかりの原田京子に目線をやる。京子も苦笑するしかない。聖奈の話すことは基本的に愚痴か人をいじることだ。いちいち返事をしていたら、疲れる。
「あの人ですよ。新しく来た」
先週、運営事務所にマネージャーが1人増えた。背が高く、顔が小さい。聖奈は早速、声をかけていた。京子はまだ挨拶しかしていない。
「山内さんだっけ?」
「そうです。『髪色明るすぎると思う』って言われました」
聖奈は心底嫌そうな顔をする。京子は山内の顔を思い浮かべる。そんなにはっきりいう人だったんだ、と意外に思う。今までいたマネージャーの木嶋とはタイプが違うようだ、と京子は思う。施設のインフォメーションは、全て派遣会社から来ている。名目上は運営事務所に派遣されている。髪色などは派遣会社を通じて注意されていたから、それがルールなのだと思っていた。「ルール」ではなく「やり方」だったんだ、と京子は思う。
「観覧車ってどこですか」
中学生ぐらいの男子が京子の声をかける。京子は思い切り口角をあげた。さぁ、仕事だ。
「ありがとーう」
笑顔で手を振る男子を見送りながら、京子も笑顔になる。週末は道案内で声をかけられることが多い。エキモは改札口もあるから平日も人が多い。週末になると利用客は3割増しになる。3割のほとんどが普段この駅を利用しない観光客だ。京子と同じ遅番で入った高橋萌も、道案内の順待ちができていた。何人か案内する頃、マネージャーの木嶋悟も一緒になって道案内していた。順番待ちがなくなり「ありがとうございます」と京子が伝えると、木嶋は「ん」とだけ言って軽いお辞儀をして去っていく。何か他の業務の途中で見つけて、協力してくれたのだろう。今まで一人だったマネージャーが一人増えたのは、増員だろうか。それとも、木嶋が異動になるんだろうか。京子は考えて、すぐにやめる。派遣先の人事のことなど考えても仕方がない。
《迷子のお知らせをいたします。
紺色のトレーナーに茶色のズボンをお召しになった5歳の男の子をお母様がお探しです。お心当たりのある方は、1階インフォメーション、またはお近くの従業員にお声かけください》
京子が働くエキモには「迷子センター」はない。インフォメーションで一時的に子供を預かる、または放送をする。迷子情報は駅全体で共有していて、一定時間見つからなければ、駅の迷子センター扱いの情報になる。京子が働き始めた頃、「どうなったのだろう」とモヤモヤした。気にしないのが上手くなってきた、と思う。それでも見つからないと、その後の仕事が上手くいかない気がしてくる。蒼い顔をした母親がインフォメーションの近くで待つのを見ていると、早く見つかってほしい、と祈るような気持ちになる。
「かずきっっっ」
突然母親が叫ぶ。視線の先に、男の子を抱っこした惣菜店のスタッフがいた。しっかり抱っこされていた男の子が降りて駆け寄ってくる。母親の前で足を止めると、なんとも言えない顔をする。ばつが悪い顔のお手本のような顔だ。
「あぁぁぁ。よかった」
母親が泣いている。男の子は泣いていない。親の号泣に驚いているのかもしれない。京子は迷子になったことがない。出かけている時に、親から離れることなど怖かった。
「気付くのが遅くなってごめんなさいね。台のところでかくれんぼしてたみたいで」
惣菜店のスタッフが笑っている。母親もつられて笑う。
迷子の引き渡し現場は、時に修羅場になる。子どもが大声で泣き出す、親が大声で叱りつける、そんなのが日常茶飯事だ。今日は、平和でよかった、と京子は微笑む。母親と待っていた木嶋がほっとした顔をする。山内は表情が変わらない。母親を見送ると、マネージャーたちは事務所に戻っていく。
今日は異常だ。京子は思った。同じ日に迷子が3人目。さらに、道案内の回数も数えられないぐらいだ。落とし物が6件。電話で忘れ物の問い合わせが2件。休憩の時間になると、いつもより喉が渇いていることに気づく。飲み過ぎると、従業員まで来る回数が増えるからなぁと、飲み物の追加を迷う。普段なら従業員トイレまで何度来ても気にしない。でも、、、と京子は思う。あまりに忙し過ぎて一人抜けると大事だ。どうしても喉が渇いたら、更衣室で飲もう、とミネラルウォーターを買う。