南相馬エピソード① 【初めて知る南相馬】
どんな切り口からnoteを始めようか悩みましたが、私の小学生の時の思い出話から始めたいと思います。
私の小学生時代は、今から21年前まで遡ります。病気とは無縁の、年中半袖、短パン、裸足、とにかく外で遊ぶことが大好きなわんぱく少年でした。のちに、小学校から高校まで皆勤賞を受賞いただくことに。
右も左もわからず、新しい学びばかりの小学生時代。
社会の授業で、謎に表面がザラザラした地図帳を使って、世界(地球は丸く大きく、色んな国がある。)のことを知り、日本(海に囲まれた島国である。)について学びました。
日本は、47都道府県で、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州と地域を分けられます。
27歳にもなると知ってて当たり前のことですが、当時の自分は、空欄の日本地図と睨めっこして何度負けたことか。とにかく、空欄を埋めることに必死でした。
* * *
47都道府県の日本には、
1,718もの市町村があります。
そのうちの1つが今回の旅の目的地、南相馬市です。
今回の旅がなぜ南相馬だったのかについては、
↓のnoteに書いてます。戻ってきてください…🦌
今回の南相馬の滞在、ただ楽しかった!良い場所だった!だけでは済ませられず、文字化することが難しい感情を抱いた2泊3日でした。
その感情を一気に綴りたくて、ねかせること約2週間、整った気がするので、一気に綴ります。見直したら感情のままの内容ではなくなる気がするので、綴りっぱなしにします。誤字脱字があってもお許しを。。。
「初めて知る南相馬」
アナログからデジタルに進化したように、時代ごとにあらゆることが進化し、ノンストレスで便利な姿を追求する令和時代。「南相馬 〇〇」とググると、Google先生が関連する様々な情報を教えてくれます。
当然、南相馬に行けると決まってから、
Google先生に頼りっきりでした。
その中で印象に残っていたのは、
「馬」「震災」「常磐線」。
今回の旅の移動は、東京駅を出て常磐線で原ノ町駅。移動は片道3時間半ほどです。通路側ということもあり、寝てしまった私が目を覚ました時には、お腹が空きはじめる時間でした。身支度をしていると原ノ町駅に到着。
初めての南相馬は、雲ひとつない快晴で迎えてくれました。列車を降りると、緊張しながらも地元の人のあとを追うように改札へ向かい集合場所へ。
そこには、今回お招きいただいたMYSHの方が迎えに来られており、その時の満面の笑みのおかげで緊張が一気にほぐれました。
数分後、今回プロジェクトに参加される残り3名の方とも挨拶を終え、ついに、南相馬での2泊3日の幕開けです。
「馬」「震災」「常磐線」、、、今回の旅に向けて、事前にGoogle先生から教わったことです。行く前の私は、この3つのワードだけでも、色んな発見がありそうだなとワクワクしていました。
もし先生の教えに点数をつけるなら、30点。実際に行ったからこそ、ここには、伝えられるべきことと今後伝えていかなければならないことが沢山あると思います。
このnoteを読み終えたら、「南相馬」と調べてみてください。そこで出てきた内容は、ほんの一部です。何も考えず、一度行ってみてください。ネット上ではわからない発見や感情と出会うと思います。
* * *
ここまで長々と中身のあったりなかったりな話を綴ってきたので、中身のある内容をまとめて締めます。
南相馬に行って初めて知ったこと
*↓長くなるので、流し読みしてください。次のnoteで詳しく書きます。
ここまで、初めて知った南相馬のことを色々書きましたが、本当に知ったのは、『生きている限り、忘れたはいけない、優しい心』です。
エッセイみたくなりますが、本当に幾度と感じさせられました。知ったというより、考えさせられたという方が正しいかもしれません。
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震災を経験してから、みんなが優しくなったという話を聞く反面、原発の影響によるイジメなどの話も聞く。
早起きして街をランニングした時にすれ違ったおじさんと話をすると、はじめましてなのに、気さくに話してくれる。
昔から野馬追い祭りに出られている方の所で乗馬体験をさせてもらった時も、馬のことをはじめ、南相馬のことを話してくれる。そのうえ、見させてもらうだけかと思っていた、貴重な甲冑まで着させてくれる。
珍しい鯛焼き屋さんに行くと、お母さんがこの焼き型はねぇと話してくれる。
お昼ご飯に立ち寄ったお店のお父さんとお母さんも、野馬追いの話しを丁寧に話してくれて、そこでご飯を食べてたおじいちゃんも話してくれて。
震災の時にボランティアで来ていた方と8年ぶりに再会し、お互い忘れることなく、あの時はありがとうね。とみんなで涙する。
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私は、27年間、優しさや思いやりの心を持って生きてきたつもりでいたけど、南相馬の皆さん、そして南相馬に覆されました。
震災により、家族や友人はじめ、あらゆる物が手元から消え、11年経った今、ゴールのない復興という未来に向けて必死に動いている人達の持つ、優しさは、人を一瞬で惹きつけ、相手の心を掴みにくる。まるで、好きな人とハグをしてホッとする時のような、言葉では表せることのできない、レベルの違う優しさを感じました。
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感情論のような内容となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。皆さんから、文章力がなくまとまりがないなどと思われてもかまわず「伝える」チャレンジを続けていきたいと思います。
次のnoteでは、「海・集落・山の融合」について書きます。
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