いつか迎える死のための(23)-クラシック音楽はオタクしか聞いていないのか-
4月24日(金)ああ、もう金曜なのか。1週間がわけもわからず、どれがどれかもわからないような曜日感覚のない同じ色合いの日々が続いている。晴れ。気温は高めだが風がある。日差しが少し強くなった気がする。日中はほとんど窓を開けて過ごしている。気持ちが良い春。
全国JFN系列のラジオ番組に、月に4日間出させていただいている。女優の朝倉あきさんがパーソナリティをつとめるMemories and Discoveriesという早朝の番組。この朝5時10分ごろからの、クラシック音楽のコーナーにかれこれ1年半くらいは出させていただいていることになる。
その週のテーマを決めて、楽曲を選び、音源を持っていくわけである。今月は今朝までの4日間、「愛する人を思い、優しくなれるクラシック」というテーマで愛にまつわる楽曲を放送した。
この番組に出る際に、私が最も気を使っているのは「音楽用語をできるだけ使わない」ということである。作品紹介の場合もなるべく調性(ハ長調とか)は省き、作品番号も敢えて言わなかったり。普通名詞以外の音楽的用語を使わずに説明しようと心がけている。だいたい作品番号について誰でも知っているという前提なのがおかしいと思うし。
私が音大を出た演奏家音楽の専門家ではないからこそ、この番組のレコメンデータの一人として呼ばれているという意味もあり、それにクラシックを変に難しくしたくない、という信条がある。楽曲の楽典的理解が深く、指揮者やオーケストラの知識が多いほうが、クラシックの奥深さを味わうには絶対に楽しい。けれども、この朝5時台のコーナーのひとつにそれを入れてしまっては、気軽にチャンネルを合わせているリスナーの人、流し聞きの人の心を削いでしまう。
クラシックは難しいと言われるのは、共通用語でしか語らないオタクと呼ばれる人が、またさらに難しいことでマウントをとっている姿を外野に見られているからなのだと、一部ではそろそろ気がつかれている。
かといって、私はクラシック音楽の裾野を広げたいとは思っていない。ファンを増やすことを目的にする活動ではなく、こうしたラジオのコーナーでは、「なんか聞いたことある」くらいの気軽さで、「この曲気持ちいいな」程度の快適さをリスナーの人に届けたいと思っている。それがきっかけでクラシック音楽に興味を持ってくれたら嬉しい。だけどそこには、理解するための努力が必要な部分もあり、それが面白さでもある。その努力こそが、音楽文化であり誰でも今すぐ受け入れられるほど簡易ではないのだ。
そこを混同はしていない。
裾野を広げるのと、簡単にするのは違うのだ。
クラオタと呼ばれる人のことを私はものすごく尊敬する。それだけの時間と知的好奇心を使って、音楽に熱情を注いでいるのだから。
だけどその一方で、まず文化を知る程度の気楽さでクラシックに触れる機会はあっていいと思う。そのために私は簡易な言葉を使うし、なるべく日常にそった提案もする。
その棲み分けをこのラジオで提案できたらいいなと思っている。
クラシックを知る楽しさ、それを生み出す音楽家の努力に、敬服する毎日である。
そんな今日、ラジオでご紹介したこの美しいドビュッシーの音楽をもう一度ここでもシェアしておきたい。美しく切ない音楽を聴き、もう一度心を落ち着かせてくれらたと思う。
どうぞゆっくり心も体も休めてください。それだけを願っています。
日本の感染者数 12,529名。死者 330名。
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