わたしの中の教育観が変わったよって話
私は今まで、様々な形で教育に関わってきた。塾講師、英会話講師、幼児・児童のイベントスタッフ、教育ボランティア、特別支援学級の支援員…
その中で、最近教育に関する考え方が変わった出来事があったので、書き留めたい。
1.学校現場の現実
私はこの冬から交流学習支援のボランティアをしている。これは、学校の支援学級に在籍する子が、通常級(自分の学年のクラス)に行くのをサポートする役割である。しかし、その内容は多岐にわたる。私の担当の子は重度知的障害だ。着替えを手伝い、食事の介助をすることがメインの仕事だ。あれ?私って今学校に勤めてるんだよな?と思うこともなかなかにある。
こういう現場を見て、私は学校現場には関わりたくないなあと思うようになった。これまで教職課程を履修してきたが、免許はもう取らなくていいかなあなんて思い始めた。
2.キャリアゼミ
去年の春くらいから、一般社団法人Foraのキャリアゼミに参加させてもらっている。高校生に進路の授業を届けている。私は楽しい授業が好きだなあ。カリキュラムとか指導要領とかにのっとってみんなが同じように、みんなと同じようにやるのは苦手だなあ。なんて思った。
3.幼児・児童英語教育
何回か、幼稚園生から小学生が集まるイベントのスタッフをしてきた。私はこれくらいの年齢の子たちと関わるのが好きだなあ。なんて思った。
ここまで言いたかったこと
今まで、「教育」に関わる仕事といえば教師だと思っていた。だから、私は教員免許を取ろうと思ったし、教職課程を受講していた。ちなみに、中高英語だった。
でも、私には学校現場は向いていないな、と、このような経験を通して感じた。私はみんなに何かを強制したくないし、楽しくないことはしたくないんですね。もちろん、社会的に問題があるとかその子が将来困るとかそういうときは強制しますけど。
だから、教師じゃなくて教育に関われることってないかな、って探しています。そんなときに出会ったこの言葉。
この言葉を言っていた人は、何かを伝えることはすべて「教育」であると考えていたんですね。
ほー-って思いました。同時に、教員になるのをやめようと思いました。まあ、免許持っていた方ができることの幅は広がるので将来的にはとりたいですけれども。
誰かに何かを伝えるって、どんな場所でもできますよね。私の場合は、幼児・児童に何かを伝えたい。「楽しく」を忘れずに授業をしたい。そう考えたら、まず学校現場ではないな、と。
じゃあどこなんだって言われるとちょっと困るんですが。
これからのキャリア、どうしようかな。と悩んだこの苦しさをここに書き留めて、私が忘れないように。同じ気持ちになっている人と出会えるように。
私の理想の「教育」の形で教育と関われますように。お祈りします。