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毎日400字小説「生活」

 よく切れない包丁でフサエは魚を捌いた。もともと小柄で既成のシンクは使いにくかったが、八十を目前にした今、腰が曲がり、背が縮んだため、踏み台を使って台所仕事をしていた。これがいいだろうと、納戸から踏み台を持ってきたのは夫だった。夫が、動きづらそうな妻の代わりに台所に立ったことは、一度もない。庭掃除、洗濯、風呂のカビ取り。毎日フサエがこまごまと家事をしている間、夫はダイニングの椅子に座って新聞を読むか数独をしていた。それしかしていなかった。が、その年代では、それが当たり前だった。
 内臓を取り出した魚の腹に指を入れ、水で流す。血をこそげるように動かすフサエの小さな手は、赤く、腫れ上がって見える。
 フサエは夫の前に食事を並べた後、盆に一人分乗せ、二階へ持って上がる。五十五歳の息子が引き篭る部屋のドアをノックし、盆をその前に置く。「シンちゃん、ご飯よ」これがもう五十年以上続く、フサエの生活だった。

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