「建築/土木/震災/オリンピック」をテーマに、気鋭作家11名が、都市の ”豊かな仮設” を試みる現代美術展『ground under』展のステートメント
去りまた来る大規模災害と祝祭を前にして。共同体の「文化か安全か」。我々はその二者択一を突きつけられている。
この先、数十年後を考えるならば、第一に安全が重要であることは疑いの余地はないが、一方で共同体の文化や営みを考えることも同じく欠かせない。
この「いかなる街をつくるか」という難問を前に、我々はただ沈黙することは許されず、常に誰かに解答を迫られている。
約半世紀前に、生命として建築と都市を捉える想像力を掲げた先人がいた。
彼らは、都市全体を細胞の集まりと見立て、状況にあわせて生まれ変わっていくような、可変的で柔軟な身体性を持った都市を夢見た。
その思想は実らなかったが、この国が過渡期にある現在だからこそ、もう一度立ち戻って検証してみる必要があるのではないか。
わたしは「豊かな仮設」を試みる。
主に仮設という言葉は画一的で無機質な固いプレハブ小屋を想起させるだろう。わたしが提案する「豊かな仮設」とは、「風化と更新」をその特性とする。「豊かな仮設」における建築は、数年で建物自体が部材の劣化によって風化していくものである。
しかし、風化していく度に、進行形で移り変わる状況に対応していくような可変的な身体を志向する。ちょうど戦後の焼け野原に建ったバラックのように。
それこそが「豊かな仮設」であり、そしてその中で待つことで、かの難問である現在の街を考えるための時間を作る。
我々は「豊かな仮設」の中で暮らしながら、目下の地面を暴き出す。そうして現れた、歴史と文化が刻まれた地層の断面を解析し、最後に杭を打ち立て、新しい街をつくる足がかりとする。
すなわち、考えるために待つのだ。
そのための「豊かな仮設」である。
思考しながら待ち、地下を掘りつづけながらも潜伏し、手を止めることなく目前に広がる地層と対峙する。それは正しく、時間の蓄積であり、文化や歴史や因縁の堆積物との対話である。
縦方向に連なる層を読み解くために、わたしたちは遥か下方に潜りつづける。
座標軸にある理論上の原点に至るまで。
2017年9月 秋山 佑太