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少林寺拳法と漫画の縁

昨夜の中田敦彦のYOUTUBE大学 「火の鳥 鳳凰編」を見て、この記事を投稿することにしました。


「火の鳥」私も大好きで、実家に全巻があるので、子どものとき読みましたし、帰省するたびにどれか一巻以上、必ず手に取って読んじゃいます。

話が深いんですよね。過去と未来が交錯するロマン。人生観にすら影響を与える気づきが、いつもいつも得られる数少ない漫画だと思います。

手塚治虫先生は、いまにつながる日本の漫画・アニメ文化の始祖のような存在ですね。しかし、その『手塚 治虫』より以前に、日本で活躍した漫画家が実は、少林寺拳法の普及に大きく関わっているのをご存知でしょうか。

その名を『山川 惣治』といいます。

代表作「少年ケニア」は、1950年代漫画としてヒットし、1960年代にはドラマ化、1980年代にはアニメ化され、当時人気を博したヒーロー活劇ストーリーなんです。当時の子どもたちにとって、僕ら世代でいうところの「ワンピース」や「ドラゴンボール」のような存在だったということも聞いたこともあります。

この「少年ケニア」作者で劇画家の『山川 惣治』と少林寺拳法創始者 『宗 道臣』に一体何の関係があるのだろうか?

今回は、2人の間のハートフルなお話をご紹介いたします。

1959年当時、主人公が少林寺拳法を使うという物語「少年エース」の連載を新聞にしていたのを、宗 道臣先生が見て、作者へ一通の手紙をだしました。

届いた封筒をみた山川 惣治氏は、武道家からの手紙に、文句を言われるのではと、恐る恐る開封したそうです。(息子談)

ところが、その手紙には、正義を貫く主人公の少年がやっている武道が、少林寺拳法であることを大変うれしくおもっているという感謝の文が綴られていました。

また、それどころか、資料が少ないだろうからと、少林寺拳法の教範までもが届けられたのです。

そこからふたりの文通がはじまるのでした。

宗道臣先生が香川県から上京し、椿山荘(目白)で演武会を催した際、いよいよ、ふたりは初対面することになったのです。

そこに、山川惣治氏の息子も「お前も一緒にこいや」(息子談)とついていくことになるのです。

椿山荘(目白)での演武会は、大成功。

直に、その技法に触れ、感動した山川惣治氏。

そこから宗家と山川家の家族ぐるみの親交がはじまりました。

山川氏の息子は、大学入学した年(1961年2月)にこの演武会を見て、父の勧めを契機に、そのあとすぐの春休みを利用し、多度津の本部へ直行することになりました。
そして、本部道場(旧道場)で、寝起きしながらの修行の日々を過ごすのでした。そして、その年末には、明治大学少林寺拳法部を設立し、初代主将・創部者になるのでした。

以上

私が47代目として入部した母校並びに、少林寺拳法草創期のお話でした。

参考文献: 少林寺拳法 50周年史 (第1部正史)


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