UFO見てフリーターになろうと思ったっておかしいですか?
私は現在28歳で、いまだに定職についたことがない。
高校を卒業してからはコンビニ、レストラン、居酒屋、ライブハウス、スポーツクラブ、住み込み農業など……チェーン店から個人店、ボラバイト(《「ボランティア」と「アルバイト」を合わせた造語》学生など若者が農家・牧場・旅館などで繁忙期に短期間働くこと。)など含めて計15ほどのアルバイトをやってきた。
フリーターという言葉に"世間的"にプラスの印象で受け取られる事はほとんどない。ましてや私の場合、コロコロ変えすぎている。「そんな履歴書では社会で通用しない」と言われても当然だ。
にも関わらず、なぜ私はこのような働き方、生き方をしていたのか。
今回はその話をしていこうと思う。
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人に話せない、フリーターになった理由。
先日、引越しを機に一年ほど働いていたカプセルトイのアルバイトを辞めた。
退職することが決まったバイト先に未練が残ることはほとんどないのだが、今回は少し違った。
「突然ですが引っ越しを機に来月いっぱいで辞めることになりました」と告げると、「いやーもっとお話したかったですね~」と言って惜しんでくれた人がいたのだ。
面接のときに私を採用してくれた、バイトスタッフAさんだ。
社交辞令ともとれる『もっと話したかった』だが、私は嬉しくてつい「じゃあ今度ご飯いきましょうよ!」と思い切った行動をとってしまった。
バイト先の人と、オフで仲良くなることを避けがちだった私にとってこれは革命的な出来事である。
後日、バイト終わりに喫茶店に行った。
いざ話してみるとAさんは私と似たような、住むところも職種も転々としてきたタイプのフリーターだった。
自分で言うのもなんだが、珍しい方である。
思いもよらぬ同志に、「職歴多すぎて履歴書では行数が足りないんですよね~」「私何個か飛ばして書いてるよ~」「分かる~」と花を咲かせた。女友達ともこんな話題ではさすがに盛り上がったことがない。
そこでAさんは自然にこちらに質問を投げかけた。
──「ゆとりさんは、どういう流れで”そう”なったの?」
うわあああああああ!!!きたああああああああ!!!困るうううう!!!!!
「いやん!こんなところでそんな話したら、隣の席のお客さんに聞き耳立てられちゃう!!」
などとはもちろん言えるはずもなく、
「あっ、えと、自分は!工業高校出身!でしてぇ~~...…!」と、一般的な普通高校ではなく工業高校を選択したという点から強引に「異端アピ」する路線で置きにいった。
目は泳ぎまくっていたかもしれない。
さすがに同志であっても……
言う勇気はなかった。
“UFOを見てフリーターになろうと決めたんです。”とは。
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高3の冬「社員」に誘われる。
さかのぼること10年ほど前。
当時私の周りの友達は、進学も就職もほとんど決まっており、高校卒業までの学生余生を謳歌し始めていたり、将来に向けて車校に通い始めている子もいるぐらいの時期だった。
その一方で私は迷っていた。
バイト先であるリサイクルショップに「ウチに就職しないか?」と誘いを受けていたからである。
アパレル関係の仕事をしていた両親のもとで育った私は、小学生あたりのころから漠然と服屋の店員になりたい(なりそう)と思っていた。自分の好きな服を着てお金がもらえるなんてエエヤン!ぐらいのノリである。
リサイクルショップでバイトしていたのも、お宝さがし的に服を探したりするのが好きだったからだ。しかし、そこで腰を据えて働きたいかと聞かれたら微妙だった。
社員になれば制服で働かなければならなかったし、リサイクルショップは中古品というだけあってお店の雰囲気も、オシャレ好きが集まるというよりは安価で手に入れたい人が集まる空間であった。それは思ってたのと違う!
好みの問題でいけば結論ははじめから出ていた。
ただ、それでも迷っていたのは、「ウチに来ないか?」の誘いが何度もあったからである。
スーツを着た本社勤めの社員さんがわざわざやってきて「店長を目指さないか?!」「車の免許も会社負担で取らせてあげよう!」などパッション感じる数々の口説き文句に私もほだされかけていた。
そんなことを考え付いたことすらなかったのに「あれ……店長目指してみるのも良いかも…?」ぐらいには思い始めていた。
UFOを見たのはそんな心境の中である。
UFOの真下にいた。
高校三年生の冬、生まれて初めてUFOを見た。
それは夕方、アルバイト先のリサイクルショップまで父に車で送ってもらう道中だった。
私は父の運転する車の助手席でスマホをいじっていた。
信号待ちをしていると、ふと父が「あれ、もしかしたらUFOだったりして」と指を刺した。
よく、言うのである。
UFOやら陰謀論やらのいわゆる眉唾モノな話が好きな父がそう言うのは珍しいことではない。だからあまり本気で聞くことはなかったのだが、なんとなくその先を見てみると、光が3つあった。
飛行機でしょう、と大体が判断しそうなライトのような光3つが左前方の空からこちらに向かって進んでいたのだ。
白、青、赤の光。はい、トリコロールだねぇ~ぐらいにしか思わなかった。
どうせそのまま遠くに飛んでいく……
──かと、思いきや、その3つの光は思っていたよりもゆっくりとした速度進んでいた。
このままいけば我々の車の進行方向とちょうど交差するのでは?!と予想される。
なんとなく、異様な気がして二人で注目していた。
そして、左前方の空にあった光が、だんだん近づいてくっきりと分かると私たちは絶叫した。
車から真上におそらく200mほど以内にあるそれは......
THE★UFOだった。
人々の思うTHE★UFOがなんなのかという疑問もある以上なんと表現したら良いのか分からないが、複雑そうな部品がたくさん組み合わさっていたメカメカしい円盤だった。
絵にかいたようなUFO。
大きな海洋生物を間近で見ているような気持ちに近いのだろうか。コンビニの看板を近くで見ると意外と大きかったことに驚く感覚だろうか。とにかくビビるぐらい近かった。
「「えっちょっ待っ!!!!?!?!?」」
フロントガラスから見えたその円盤に、父と私は興奮した。
瞬時に「カ、カメラカメラ!写真写真!!」
無意味にいじり続けていたスマホの価値が急騰である。
父は車ができる限界の徐行運転になった。
UFOが車の屋根の上に来ている間に、私は急いで後部座席のほうへ身を乗り出し、スマホのカメラをかざした。
すると……UFOの姿は無かった。
フロントガラスから見上げて、後部座席に身を乗り出すまでほんの1、2秒だ。
「「う、ううわああああ!消えたあああああ!!!」」写真が撮れなかったにも関わらず、車内は爆アゲである。
なぜならそれは、そんなことよりも『一瞬で消えた』というUFOがUFOたらしめる異次元な行動をとったことを二人で見ることができたからだった。
そのあとは父とどんな話をしたかは覚えていない。
ただ、私が見たアレはなんだったのだ、という気持ちから翌日は学校を休んで、ひたすらにUFO情報をググりまくったのは明確に覚えている。
(ちなみに、のちに友達が卒業文集で高校三年間で面白かったことという項目に「ゆとりがUFO見て学校休んだこと」と書いていた。ちょっと嬉しかった)
「好きなことをして生きろ」と言われても好きなことが分からない
好きなことをしてほしい、と私は親にそのように言われて育った。
「良い大学に行って良い会社に入ってくれ」と望まれるより幾分ラクかもしれない。それをありがたいと思う一方で私は「好きなことが分からん」ということが悩みのタネとなっていた。親にそう言われることで、私の10代の繊細な心では、むしろ、好きなことを”しなければならない”とまで感じていたところはあったと思う。
そこで社員への誘いであるが、親は肯定も否定もしていなかったような気がする。正直もう覚えていない。ただ私の選択に口出しされたことは一度もなかった。
好きなものは何か?分からない。今、好きっぽいものはあるけど、本当にそれなのか分からない。なんにでもなれるような気もするし、なんにでもなれないような気もする。
そんなときにUFOである。
当時、UFOなどはテレビでも恐怖映像バラエティの類で基本的に「無い前提」だからこそ面白がれるような娯楽扱いの印象が強かったように思う。
つまり、当時高校三年生の私の感覚でいえば『世の中的には無いとされているものが、在った』のだ。天地がひっくり返るほどの衝撃である。
「もう世の中、なんでもありやんけ!!!!」という気持ちになった。
案外世の中はテキトーに回っているものなのかもしれないと思うと、迷っていた心がゆるくなったのだ。
今好きなことが何かは分からないけど、一度きりの人生、やれることなんでもやりたいと思うようになった。
誰もが1人生1職業である必要はない。最低3年働かなければならないということもない。(もちろん、長く働くことで「長く働いた」という経験も得られるので一概に転職万歳と言いたいわけではない。ただ自分がそう思えるようになったのはまだ先だった)
そして、興味があるがままに動きやすそうなフリーターになることが、私が好きなことに出会えると思ったのだ。
★さぁ明るい未来が私を待ってる──!
学校で配られた"進路希望調査用紙"は未提出のまま無事高校を卒業し(先生から催促されることもなかった)(意外とそんなもんかもしれない)、
私は好きな服屋さんでアルバイトを始めたのだった。
とはいえさすがにこんなに転々するとは自分でも思っていなかったけど...…
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十数年後の今思えば、
あの時、社員をOKしていたら今と全く違う人生になっていただろうと思う。そっちの方がやはり安定していたかもしれない。そっちにいっても安定しなかったかもしれない。
ただ、ポッドキャストを通じて自分がフリーターだったからこそ経験した色んな話をすることで、「誰かの何か」になっていることを教えてもらうたびに、あの時の選択を誇りに思えている。
義務教育、高校、と10代のレールに従って進んでいくと「フリーターとは能動的になりたくてなるものではない」という空気感がどうしてもある。
それにフリーターになった理由なんて、家庭の経済力が、学力が、などいくらでも見つかってしまう。だから私は人と話をするときには大抵そのような取ってつけた理由を述べて避けていた。
まぁ「UFO見てさぁ…」で面白がってくれるような人が相手であればもちろんやぶさかではない。だから、ポッドキャストでは話せるが、現実の対面では言えないのかもしれない。
この間、Aさんに言えなかった分、ここでハッキリ伝えたくなってしまった。
私は、フリーターになりたくてなったのだ。
おしまい
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