RQ:教師の過労とかブラック部活動はなぜ解決されてこなかったのか?

ど年末。先週の月曜から冬休みに突入した自分といえば酒をのみ昼に起きて好きなことをして寝るという理想の生活を手に入れていた。こんな27歳でいいのだろうかと思いつつ、そういう環境を手に入れるだけの努力をしてきたのだと思い込むことにしていた。とはいえ年始の冬休み明け以降は普通に働くのは今は頭の片隅に追いやっている。

真面目な話をすると、ここ最近の自分の中で一番暑い教育関連のトピックは教師の労働問題である。上5行とのギャップで耳がキーーンってなりそう。博士課程の研究計画書をかく段階ではあまりクリティカルではなかったものの、現職の教員をしている友達の話から興味を持って色々調べるうちに、自分がどんなに良い授業の研究をしようが結局「忙しい」で片付けられてしまうようなそんな日本の学校教育の現状に直面したというか。現状をふまえたらそんな話「理想」でしかないよね、みたいな悲しい現実を突きつけられた気がした。

結局どんなに良い研究をしようが、学校教育は「多忙」の一言で片付けられてしまう現実に直面した。友達の現状を見ていてもそう思うし、ゆとりまっさかりな、ゆるゆる生活を送っている非常勤講師の自分が常勤の先生を見る目は「うわぁ、大変そう」、って毎週休日出勤をしている先生たちをみて思うのでした。つまり日本を取り巻くあらゆる教育の問題は教員の多忙、言い換えればブラック労働に起因しているんじゃないかって、言い過ぎじゃないレベルで思ったわけです。僕が暇を持て余してマッチングアプリで出会った人に「僕は学校の先生をしています。」って言った時の反応がだいたい「大変ですよね」もしくは「忙しいですよね。」みたいな友達ないし親が教員で教員=大変っていうイメージが世間一般にこびりついているんだなっていうことを思い知ったわけです。

僕はいいんですよ。実際非常勤なんて与えられた役目を全うするだけだから忙しくともなんともないです。朝授業のある時間に学校に行って授業が終わったら帰るだけの存在です。

ただ、この教員=忙しいのイメージがこびりついてしまうと、まぁモテない。こいつと仮に結婚したら育児には非協力的、休みの日でもきっと部活動に駆り出されて育児には協力してくれないんだろう、みたいなマイナスイメージを抱かれるのはすっごく嫌!!かといって流石に非常勤のままで一家庭を支えられるなんて思ってもいないわけで。っていう自分が勝手に思っているだけかもしれない至極身勝手な理由で、そして自分の中にわずかに灯っている正義感からこんな話を書いてみようと思った次第です。

とりあえずまとめて、そしてかっこよく形容して話をすると中学高校の教育の環境を歪めている一因を「部活動」に焦点化して話をしたいなと、思ったわけです。

部活動のイメージは日本人にとっては悪いものじゃない。

むしろ自分はどんな部活をしていましたっていうのはありとあらゆる自己紹介に繋げられるほどに、日本人の原風景として浸透しているでしょう。かくいう僕自身も中学時代はバスケ部、高校時代は軽音楽部とそれなりに活躍の場所として自分を発揮した輝かしい思い出として今も残っています。高校時代の部活の友達はいまだに会うくらい仲がいいのも事実。ただしやはり教員目線になって考えてみると、休日も学校にきていたよなーとか思うわけです。中学と高校で違っていたのはまず運動部と文化部である点。運動部は万が一に備えて顧問が必要なこともわからんでもないし、外部からコーチ(大学生)がきてくれていて、専門的な技術の指導を得ることができました。今思えばあのコーチも雀の涙ほどのお金でほぼ毎日練習にきてくれていたんだから感謝してもしたりないなぁ、とも思いつついわゆる「やりがいの搾取」だなぁ、なんて冷めた目で思っちゃうわけです。

高校が違ったのは軽音楽部でまず怪我とかの心配もなかったことと学生主体で運営されていたので、顧問がほぼ名ばかりで特に口や手などを出すわけではなかった点。そして外部の指導員などもいなかったけれど、OBが定期的にきて技術的な指導をしてくれていました。それは高校生だから、運動部と文化部だから違っていたのか、誰がイニシアチブを握って組織を運営していくのか。その違いについてはもっと色んな現場を見定めていく必要があるのかな、という気がしますが、高校生であればある程度は生徒主体で部活動が運営されることは可能なんじゃないかという風に自分が思っている根拠だったりします。

この辺を加味してまとめると、高校時代の生徒主体で勝手に部活動が運営されていく、というのが理想的に思えるわけです。実際学生としても顧問が口出ししてくるのは煩わしいですからね。運動部はそうもいかないのかしら??

だいぶ前提が長くなりました。いわゆる「ブラック部活動」などといって教師はおろか生徒のQOLをも蝕んでいるこの問題がなぜ改善されてこなかったのか。というところに自分は興味をもったわけです。研究計画書には全く書いていないですが博士課程で突き詰めていきたいなーと思っているのはそこです。ここで1つのリサーチクエスチョンを提示します。

日本においてこれだけ教師の過労やブラック労働が問題にされてきたにも関わらず解決されてこなかったといえば、甲子園に代表されるようなスポ根、言い方を変えれば共同幻想が日本人という国民全体に共有されていたからではないか、という仮説を提示したいです。

ちょっと長くなりそうなのでとりあえず導入まで書いておきます。続きはまた書きます。お酒飲んで眠くなってきたから…。

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