読書感想文
どうも、学生時代恥ポエム大量生産人間です。
メモ漁ってたら、高校の時に学校に提出した読書感想文のデータが出てきたので備忘録的な意味で載せておく。
稚拙文章。
選んだ本は萩原朔太郎さんの「猫町」。
この中から選んでくださいっていう本を全無視して手持ちの短編集に載っていたコレを選択した記憶がある。頼むからちゃんと先生の言うことは聞いてくれ。
不思議だ。読み終わったとき、私の心にはそんな言葉が浮かんでいた。
とにかく風変わりなのである。主人公も町も人も、全てが。
この作品に出会ったきっかけは、家にあった文学集の中に収録されていたことだ。
今までは、特に興味も持たず読み飛ばしていたのだが、ふと冒頭にある「散文詩風な小説(ロマン)」という文章を見つけ、読んでみようと思い立った。
題名の「猫町」を見ていると、主人公が猫と関わって変わってゆく物語なのだろうと想像していた。しかし、私の想像は見事に裏切られたのだ。
完全に違う作品ではないか。この作者であり、詩人の萩原朔太郎は何を想い、書き上げたのだろう。
この短編小説は朔太郎が唯一書いたものであり、磁石の方角を直角する感官機能に、何かの著しい欠陥を、もった詩人が散歩をするお話である。
主人公の方向音痴という部分は私にも当てはまる。道を何回も通らないと覚えられず、また景色で判断しているので、桜から青々と茂る木というふうに変わると、途端に分からなくなる。
道に迷い帰れなくなるのが怖いので、休日などは、極力外に出ないようにしている程だ。
なので、この主人公はチャレンジャーだと思う。慣れない土地を瞑想に耽りながら歩くなど、とても私には出来ない。
だが、この主人公の旅行はとても魅力的に感じる。
周りの景色がキラキラして、鮮やかで、きっと幻想的なのだろうなと憧れる。
たとえその景色が、モルヒネやコカインなどが生み出した幻だとしてもだ。
朔太郎も薬物の中毒で知られており、この作品はそうした幻覚剤を用いて書かれたものだと後で知った。
主人公の詩人は、朔太郎と同じ職業であり、薬物にも頼っていた。
自分と似たようなキャラクターに作り上げることで、夢の世界を体験してみたかったのではないだろうか。
もし、私が詩人や小説家だったなら、と考えてみると朔太郎の考えも理解ができる。
自分の叶えられない夢や願いがあるなら、キャラクターを使って疑似体験をすることができるからだ。
主人公の散歩の楽しみ方というのも、とても興味深い。
いつもの散歩区域にある町が、全く違う町に見えるということは、毎回のように新しい発見に巡り合えるということだ。
視点をずらしただけで様々な表情が見えてくるのだから、絶対に楽しいと確信できる。
あくまで主人公のような特殊な方向音痴があった場合だが。
この作品の中でも言っているように、定められた物事をあえて別の方角から見てみることで見つかることもある。
これは、人生を豊かにする為のヒントなのではないかと思う。
小さなことでも疑問があれば、答えを知りたいという好奇心が出てくる。
好奇心は夢につながり、楽しみへとつながっていく。これは本当に素晴らしいことだと思う。
だが、この作品も同様に別の視点から読んでいくと、違う印象を感じる。
まるで都市伝説のような漠然とした不安である。犬神や猫神などに憑かれた「憑き村」などの迷信的な噂は特に私の不安を煽った。
この話を主人公は軽く受け流しているのだが、こういう時に迷い子になるのは、本当に心細く怖いと思う。
さらに、必死で歩いてやっと見つけた町で、猫ばかりが歩いているのを見たら、気が狂ってしまうのではないか。
もし私がこの立場だったら、驚きで身動きが取れず冷静な判断力を失ってしまうだろう。
私は、ここまで読んではじめて「猫町」という題名の意味を理解した。
そのままなのだ。
人がおらず、ただただ髭の生えた猫がうようよといる町。
だが、やはり視点を変えればそこには何の変哲もない平凡な田舎町である。
狐に化かされたとしかいいようのない不思議さだけが主人公にも私にも残っている。
結局主人公の見た光景は特殊な方向音痴による錯覚だったのか。
それとも現実に起きたことだったのか。
私は、主人公の言うようにどこかにあるのだと思う。
この世界は、まだまだ私たちの知らないことで溢れているからだ。
この短編小説は、短いながらもたくさんの感情や思いが詰め込まれていると思う。
その一つ一つを感じとれることを喜ばしく思うし、そこから大切な事を学ぶことができた。
別の視点から得ることのできた発見を今後の人生に活かしていきたい。
あの頃から方向音痴1ミリも直ってない。
それに読了して得たであろう発見、1ミリも活かされていない。
人生ってそういうものだな。