「特別な人になりたい」という特別な人がいっぱいいる。
地上に存在する地獄を、黒人は美へと昇華させ、芸術的貢献であるジャズをもたらしたのである。
マックス・ローチ
文章は下手な方がいい、粋ごのみがわざと着物を着くずして着るように。
レイモン・ラディゲ
何もやる気が無い。
😪
😴
雨が降りませんね…
💤
「転スラ」、5話まで観ました。
自分の好きな人を描くよりも、嫌いな人を描けるほうが、絵の幅が広がる(🙃)(と思う)
むしろそれが「プロ」というものでは?(🙃)(自問)
そう考えるのはクリスマス・イブに相応しくないかもしれない。🌲
ミュージックマガジンを読みにだけに駅に行こうか迷う。🙃
「今日はクリスマスイブ」
朝はふつうに目が覚めました
朝ごはんは美味しかったです
それからしばらく眠りました
ぐうぐうと ああぐうぐうと
コーヒーを飲みました それから
絵を描きました 何枚かの絵を
お散歩に出かけました
電車は揺れています
ぐらぐらと ああぐらぐらと
「ジョーカー2」で仮にハッピーエンドがあるとすれば、閉鎖病棟の中から「ガリア戦記」(カエサル)のような書物を書く以外に無かったのではないか、と思うんだけど。(なんとなく)
「マスクは五十円か否か」
歩きながら思った。
人はひとりひとりそれぞれ違う帰結点に向かって生きている。
だから比べ合う必要性は、おおよそ人生上において、無い。
ひとりひとりが自分のストウリイを紡いでいるのであって、それがひとつに集約されることは無い。
そう思った。
🚶♂️
ゲームで例えれば、ひとりひとりクリアポイントが違うのだと思う。ジャンルも異なる。
戦禍のよくない所は、それを限定してしまう点ではないか?🚶♂️(考)
アクションゲームの人も居れば、シューティングゲームの人、シュミレーションゲームの人も居れば、
なるほど、そう考えると人間の一生というものは、その時々に於いてゲームとも例えられるのかもしれない。「無理ゲー社会」とも言われるのは、クリアポイントを高く設定しているからではないか?(問)
自分の現在をゲーム化すれば、答えが見つかるかもしれない。
概ね、「許す」という事はその事に於いての「卒業」である。
「アイデンティティー」ということに於いては、あらゆる成功も失敗も関係無いと思う。
ただ自分における現状を認めるだけの心があるかどうかということだけである。
僕は映画では(どちらかと言えば)〝許せる〟人間を観たいなと思う。
🍳
「ルポ京アニ放火殺人事件」(朝日新聞取材班)を本屋で立ち読みした。〝小説家になるしかない〟という社会的孤立状態が妄想を拡大化させ、事件に至った、(と思われる)という経緯が綴られており、他人事では無いように思った。
〝居場所が必要〟というのは、本当にそう思う。
要約すれば、どんな仕事にもかかわらず、商売には絶えざる自己開発が必要なのだ。
渋沢栄一 守屋淳:訳「現代語訳 論語と算盤」
自分は特に模倣されようが(たとえ)気にしない、と思う。
(妄想であったとしても)「下手くそだな」と思うだけだと思う。
ミュージックマガジンを買おうか迷ったまま結局本屋を出た。
デジタル社会では最上の答えしかおおよそ出さないので、ああいう様々な音楽の入り口になる雑誌っていいなと思った。
でも、そうした〝孤立感〟というのは、作家から誰でもあるのではないか? とも思う。
「特別な人になりたい」という特別な人がいっぱいいる。
美輪さんの本などでも書かれているような、〝若者の居場所作り〟というのは大切であると思うんだけど、同時に日本でそれを行なうと有償性のサロンとか…、まあその他諸々の思想性があると思うんだよな…。
(笹井宏之賞ってあるんだ…👀)(今知った)