(情報端末という)蛇

死んだ女より
もっとかわいそうなのは
忘れられた女です

マリー・ローランサン「鎮静剤」

「それ映画じゃ無いじゃん、〜じゃん」という映画は大抵ヒットする。

「バグダッド・カフェ」(映画)を今観たら、心の居場所のようなものも思えるかもしれない(どんな内容だったか忘れている)

今の小学低学年の子達が「推しの子」を観ているのかと思うと「アナ雪」を超えてかなり残酷な世界に向き合っているのではないかと考えてしまう。

アニメーションを観ていると、いわゆる絵描きの〝絵心〟と言われるようなものと、キャラクターの描写における〝絵表現〟〝演出〟のようなものは、かなり違うのではないかと思う。

blingってどういう意味だったっけ

〝キラキラ〟🙃

以前、紙芝居ワークショップを行おうと考えた時、「自分の闇を描いてください」と言わざる得ないのではないか、と考えてしまったことがある。そうで無いとハッピーエンドにならない可能性が高いと思ったからで。

ぐんぴぃさんによってチェックシャツが消費されてゆく

近い将来、絵文字とか😄←こういうスタンプごと自分で描いて作れるようになるのだろう

「サイバーパンク:エッジランナーズ」を観ていない若者に「最後死ぬやつでしょ」と言う気持ちは、自分の若い頃から今においても坂口安吾の「墜落論」を読んでいないことに通じる何かを感じて、その気持ち分かるよ、と

宮崎駿監督アニメに見るコメディの要素は普遍的に高いのではないか、とふと考える。そう思うと杉浦茂の功績は高いのではないかと(も)思う。

運とは何か。
運転の運であり運動の運です。

メンテナンスの中のメンテナンスなのかなと思う。

つまり思ったのは、40キロ道路を60キロで走れる状態よりも、40キロ以内で柔軟に安全に走れた方が〝運が良い〟と言えるということです.

おみくじは持って帰っています。
年明けのお焚き上げなどで返させて頂いてます。

パワースポットは自分がパワースポットになればいい、というのも極端かなと思うので、では部屋から、とか、玄関から、とか、庭から、とか、そして出来れば自分の住む地域から、という考えが、基本的に良いのではないかと思ったりします。

柔和質直

神社ではお釣りが出ないようにする_φ(・_・💦

これはあくまで空想であり、妄想の範疇なのだけど、ユングの唱えるような集合的無意識があるとして、それが人だけに留まらないとしたらどう思えるのだろうか。つまり、自然環境とも心が繋がり合うようなことがあるとすれば、地球の環境変化によって個々人の心に影響を及ぼすこともあるのではないか。

「どうすればよかったか?」(映画)で謎に思ったのは、お姉さんが10代で思っていた、「自分はガンなのではないか」という恐れが、後年、統合失調症からの寛解の中で、実際にお姉さんご自身がガンになられたことです。これは不思議としか言いようが無いと思いました。

#どうすれば質問感想

この紙芝居の中の「ぼく」だったらどう考え思うのだろう、ということが今の「僕」の支えというのか、基礎になっています。

紙芝居 「つきのゆりかご」 youtu.be/QHwn64VdUns?si… @YouTubeより

(みんな)〝統合失調症〟というと語ってはいけないもののように思うかもなのだけど、そうでも無いんじゃないかなと思う。

いずれ、統合失調症のコメンテーターや司会者とか、そうした人々がメディアに出て来る時代になると思う。
LGBTQはもっと理解が進むのではないかと思う。

僕はテクノロジーが発達し、過度に情報が行き交う時代になればなる程、〝性〟って何なんだ、ということを改めて考えざる得ないようになるのではないかと思う。というのは、〝性〟がある意味、パッケージ化されていってしまい、その多くがコンテンツとして消費されてしまう側面があると思っている。

それこそ、主体性を持って〝性〟を語る必要性になるのではないか。〝性〟というものは〝動機〟にも近く、〝動機〟というものは物事の初めから終わりまで関係し続けることなのではないかと(も)思う。

聖書では蛇にそそのかされて禁断の果実を食べた男女が自らの裸身の恥ずかしさに気づき、楽園を去った、とあるが、そういう意味では現代は(機械端末という)蛇だらけであり、各が恥心はもっと個人個人の私的な部分に閉じ込められていった先で麻痺したまま確認し合う状況にならざる得なくなったと思う。

いいなと思ったら応援しよう!