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DA PUMPの「U.S.A」とは何だったのか

ふと、DA PUMPの「U.S.A」とは何だったのか、を考えてみたくなった。

というのは、これは一体何のことを歌っているのか、というのが心の中で長い間ずっと疑問だったからだ。

それが昨日、分かった。

【「アメリカ」がやってきた「ジパング」はどのように変化したか】

という内容だったのだ。

僕が思うことは、これはプロテストソングの側面を持つことだ。

つまり、「西洋文化が入ったこれまでの日本をカッコいいとしていたけど、ダサいよね?」という意味合いを表現した曲なのだと、理解した。

歌詞の中で出てくる「U.S.A」はどこか古くささを感じさせるフレーズが続く。
オールドシネマ、リーゼントヘア、FM聴いてた渚…
これらで歌われている「アメリカ」からの〝ドリーム〟というものは、そうしたアメリカ文化を受け入れたこれまでの日本人、日本を茶化している内容とも思う。
だが、ここで「日本」という表現は使わず、「ジパング」と述べることで、更に直接的な表現はずらしてあるように思う。

そして数十年すると、〝だいぶ変化〟してしまい、そもそも「アメリカ」ってなんだっけ、となり、ただ〝だけども僕らは地球人〟で〝同じ船の旅人さ〟という認識、でしか無い、という皮肉が込められていると感じる。

そして行く末には、「LOVE&PEACE誓うのさ」とある。
これはとてつもない皮肉に感じる。
日本におけるそうした平和的メッセージでさえ、「アメリカ」というよく分からないものからの〝ドリーム〟をインスパイアしたもの、つまり受け売りでは無いのか、といったことが歌われる。

そしてダンスパフォーマンスで同時に見せることは、「ダサかっこいい」である。

これを何というのだろう。
DA PUMPは氷河期世代が中心でもあると思う。
それが意味することがどれだけあるか分からないが、
ある種の自虐的な崩し芸術で、日本文化を受け入れた日本人ってこんな側面ない?ということを本気に〝ダサく〟伝えるという方法を感じる。

これは前衛音楽なのではないか、とも思う。
けして心地良いものでも無い。
調和やハーモニーがもし音楽に大切なものとするならば、今のDA PUMPの音楽はそこからどこか意図的に逸脱した表現を持っていることを思う。

つらつらとDA PUMPの「U.S.A」について思うことを書いてみた。
ただただ、表面的に、表層的に悲壮な表情をして悲惨を伝えるだけが表現では無いことを教えてもらったようにも思う。
明るい顔を浮かべながらでも、その中の怒りや疑問は表現出来るのだ、ということを、作り手の意志、意図を感じるようにも思った。
これからのDA PUMPが何を表現するのか、見て行きたい気持ちになった。

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