「KOTOBA」という雑誌が読みたい。その為だけに駅に行こうか迷う。
NHKでトラックドライバーの方のドキュメンタリーを見ていると、自分はまだ…と思う。
ケン・ローチ監督の映画を思い出す
「winter of 96」の元(?)となった「summer of 84」(映画)の予告編観たら怖そうで🙃?(w)となった。
最近、夢の中で、何か(よく思い出せないけれど)の説明を求められることが多くて、面倒くさくて起きることが多々あります💧
今日はいい日でした。
今日、ジャンニ・ロダーリの小説の中に、月を見ることに税金をかける、という話があり、それで自分は不運に税金をかけたらどうなるんだろう、と想像しました。
きっとそうした〝不運〟に税金をかける、という事は、〝不運〟そのものを減らそうと考えるような、〝幸福現実化社会〟なんだと思う。つまり、自分の不幸話をするだけ、税金額も増える、のだと思う。
それはもしかしたら(世界の国々においての)相対的には〝幸福な国〟なのかもしれない。しかし、それは〝不運〟な話も出来ない、〝幸福な国〟となる。
そうは言っても、YouTube割と見ちゃうな、と思う
おお 時を鳴らせ
一兆回も真夜中の鐘を鳴らせ
僕はふたたびそれを聴こう
アレン・ギンズバーグ「麻薬書簡」
🙏
おはようございます
「どうすればよかったか?」というタイトル自体がこの国の社会における病であると思う。つまり精神の病の人々に対してこの国では作業内容を求めているように思う。それは病の人々が起こす問題を、作業として処理したい欲を持った人々が多い国だという事だ。
#どうすればよかったか
僕はそうした事の、実際的な社会に対して、「もっと能動的に働いたらどうですか?」と思う。
統合失調症には破瓜型と呼ばれるような症状もあるが、それはこの社会というものが、そうした精神の当事者に対して人々が作業内容を求めた先の、問題(とされる行動)を起こさざる得なくなったのではないか。
つまり、当事者が問題を起こすことによって、作業処理欲を持つ人々の社会が成り立っている側面があるのではないか、と考え思う。
簡単に言えば当事者にアイデアを求め過ぎているのだと思う。
漫画や映画でもそうではないか。何かあれば悪の根源はそうしたことにされた一面は無かったとは言い切れない。
ほんとうに映画批評家って減ったんだな、と思う。もうコメンテーターでも解説者でも無く、野球で例えると、スタジアムの観客席で目立った格好をしていつも居るような、そういう人を批評家というようになったよーに思う。🙃💧
人は皆、この世にやってきた旅人であり、人それぞれの魂のジムで魂を鍛える為に生きている、とも言える。(と思う。)
僕は母が自死で亡くなっているから、自死というのは、人生の中退なんだと思う。僕はあの世というのがどんなものか知らないけれど、それは生まれてきたからには勿体無いことなんじゃないかな。
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僕は仏像の多くが目を閉じて微笑んでいるのは省エネなんだと思う。😑
占いも漢方ならば、ほどほどが一番だと思った。占いに凝り過ぎて、ぎこちなくナチュラルに生きられなくなるぐらいであれば、距離を置いた方がいいと思った。
父はプラセボ効果と言っていた。
その側面もあるし、ユーミンの歌にあるような〝目に映るすべてのものはメッセージ〟ということもあると思う。
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しんせつには
たくさんつまるところの
いけのような
とどまりがあって
空には海が
いのりを送りかけ
続けながら
ふりつづいた月の
おもい出たちは
あさ、くらいやみに
光のあらわれと
うかべてすくう
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いのちみたいと
つぶやくかけらの
青色のかえでたち
広い砂のあたたかい
暴力の前で
悲しみは手を
手の前に押し合わせ
つくりかけのトランプを
こわし合うまでに
残されたいのちに
語りかかれるように
僕は絵を描けるのですが、言葉でもって、聞いてもらった人の頭や心の中に、その人自身の絵を描いてもらった方が、もっと絵を描けるんじゃないか、と思ったりもしています。_φ(・_・
クリストファー・ノーランが映画でもって観客の頭に作品を作りたいと言っているように、言葉というのは、その人その人の心の中に物語を作り出すのではないか…。であれば、紙芝居の絵というのは何なのだろう…。🙃🌀
「KOTOBA」という雑誌が読みたい。
その為だけに駅に行こうか迷う。