メリークリスマスでした。

おはようございます

生産殖利は必ず仁義道徳によらねばならぬ

渋沢栄一「論語と算盤」

哲学が無いと日本人は受動態になる。

歴史上、哲学無くして残ったものは一つも無い。

ありがとうございます

😴

「敵国外患なき者は、国つねに亡ぶ」

孟子

(…)如何にもその通りで、国家が健全なる発達を遂げて参ろうとするには、商工業においても、学術技芸においても、外交においても、常に外国と争って必ずこれに勝ってみせるという、意気込みが無ければならぬものである、

啻に国家のみならず、一個人におきましても、常に四囲に敵があってこれに苦しめられ、その敵と争って必ず勝ってみましょうとの気が無くては、決して発達進歩するものでない。

渋沢栄一「論語と算盤」

この〝勝つ〟というのは言うまでもなく、〝文化的に勝つ〟ということであるとおもう。

私一己の意見としては、争いは決して絶対に排斥すべきものでなく、処世の上にも甚だ必要なものであろうかと信ずるのである。私に対し、世間ではあまりに円満過ぎる、などとの非難もあるらしく聞き及んでおるが、私は漫りに争うごときことこそせざれ、世間の皆様がお考えになっておるごとく、

(自然界の熊だって、肉の取り合いでは争い合います🐻💥🐻)

争いを絶対に避けるのを処世唯一の方針と心得ておるほどに、そう円満な人間でもない。

渋沢栄一「論語と算盤」〝争いの可否〟

僕も、例えば近頃の占いで「金持ちの悪口は言わない方がいい」というのは、〝豊かな人〟に対してであって、金持ちでも間違ったことをする人には悪口に及ぶような批判があっても然るべきではないかと思う。そのような金持ちを(批判などから)優遇することは資本における封建主義の布教であると思う。

占いの伝達の言葉がアドバイスと直結するのであれば、アドバイスが適切で無ければ、その占いという伝達には誤差が生じるのと同じである。

僕がもし子どもで、「尊敬できるYouTuberはいますか?」と尋ねられたら、「いない」と答えると思う。

せっかく現世に来たのに、YouTube作りで魂を磨かないままに時間を過ごして何の意味があるだろう

💤

まあ、そういう意味では、自分もただのアウトプットでツイートがあるならば、それがYouTubeでもただのアウトプットであるならば、

多言語を学習することは日本語だけの発音、発声に限らない音や声を使うので、その分だけイメージが広がる気がしている。
おはなし創りや絵描きそのものにも良い影響があるように思う。

金を使わなくなる→発想が増える→アイデアが増す→方法が増える→やれることが増える→経験が増える→体験が増える→人に伝えられるものが増える→得を与えられる→得になることが増える→豊かさが増える→金が貯まる→金を使わなくなる→発想が増える→…(♾️)

この流れから分かるのは、金が貯まるから豊かなのでは無く、豊かさが増えるから金が貯まる、という事💰

今日は英会話で「よい休暇を!」という言葉には「happy holidays!」と言った方が良いと習いました。「merry Xmas!」だと宗教色が出てしまうからとのこと。「happy holidays!」なら広く使えます、とのこと。

英会話を習って良かったなと思う。三ヶ月だけでもネイティブの人と話すことの大切さが分かった。単語や文法など、自分で多言語を学ぶのも楽しそうと思う。また市や区などのボランティアなどでも国際交流として何か手伝えることがあったらやってみたいと思う。言葉の数だけお話創りの数も増えると思う。

そういう意味では、占いで出てきた、「語学の習いごとをすると良い」というのは当たっていたと思う。

僕はセカオワの「RPG」を聴くたびに🙃?となるのだが、〝「方法」という悪魔に取り憑かれないで「目的」が大事〟、という趣旨の内容があるのだけれど、「方法」を本当に考えなければ、その中には〝道徳〟も無いぞ?とかなり思うので、その先の「目的」が何であろうと過程が大事であると感じ思う。

「この文章は読みやすいですね」と俳優や役者(という言葉を読み扱う仕事の人)が云うべきでは無いと思う。

昨日は全人類が皆、自分の子供だったらと考えました。メリークリスマスでした。

おはようございます

おはなしを書く際の前に、すこしキャラクターを作ってもいいようにも思う。
キャラクターというのはそのものを現す名前の特徴でもあり、

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし見捨つるほどの祖国はありや

寺山修司

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