だから〝地獄極楽は胸三寸にあり〟と云う。😑
「乾きようも」ない「スポンジ」みたいなもので
もう大体、半生生きて、あとは丁度品を良くして行くだけ、って感じがして(も)いる。
箸とかお椀とか、そういうもの、絵筆や、そういう日用品を、良くして行くだけ、っていう。
「グランメゾン東京」のドラマ第一話を観た。面白かったです。
自分が非難されるよりも、自分をリーダーとして応援し参加してくれている部下を非難される方が腹が立つ、というのは、本当に気持ちが分かるなと思いました。
木々を例えば細かく描くにしても、センスで補い過ぎて、色彩を細密に描く以前に、個性でカバーする場合が多々ある(自分の場合)。そう思うと、センスを落とす(?🙃?💧)必要があるんじゃないかと思ったり(も)する。
でも、そういうものを売れるのか?と思うと、かなり売れないなと思う。(自分に対して)
NHKEテレの「わたしの日々が、言葉になるまで」って、大喜利みたいな番組で楽しかったですよ。
「全決」も観たくなりました。
それより一体何故、明治期や大正、昭和初期にヨーロッパへ渡った日本人画家が浮世絵や日本画(?)の技法で西洋を描こうと思わなかったのか謎に思う。
ただ、ドラマとして観ていると、「王様のレストラン」を観ていたつもりがいきなり「ひとつ屋根の下」を観ていたような気分になるような、つまりコーティングがどこか「?」となる感じは今のドラマなんだろうか、と思った。_φ(・_・
椅子って作るの難しいんだよな…。(小学校の頃、作った)
〝うまれたとたんに人とつながる〟というコピーライターの一文を読んで、よう分からんなと思った。
そんな約束は人の意思の努力が紡ぐもので、確約されたものでは無いと思うから。
それが〈優しさ〉ではないか?と思う。
その〈孤独〉故に人は泣くのではないのか?
#2024年の本ベスト約10冊
「こわれた腕輪 ゲド戦記II」ル=グィン 訳:清水真砂子(岩波書店)
「セーラーとペッカ、町へいく」ヨックム・ノードストリューム 訳:菱木晃子(偕成社)
「競売ナンバー49の叫び」トマス・ピンチョン 訳:志村正雄(ちくま文庫)
「世界文学を読みほどく スタンダールからピンチョンまで」池澤夏樹(新潮選書)
「ポケットに名言を」寺山修司(角川文庫)
「すべての、白いものたちの」ハン・ガン 訳:斉藤真理子(河出文庫)
「論語と算盤」渋沢栄一(角川ソフィア文庫)
「美輪ことば」美輪明宏(中央公論新社)
「武器ではなく命の水をおくりたい 中村哲医師の生き方」宮田律(平凡社)
「The GAMBLER volume1」かなふぁん(City Bike Records)
[補足]今年読んで「良かったな」と思った本たちです。ジャンルは様々ですが、どれも良かったです。
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全然雨が降らんのう
フライングや…(もち…)
髪の後ろのくせっ毛が結局スーパーサイヤ人みたいにごわごわってなってるので、もうスーパーサイヤ人なんだと思って過ごそうと思う
もう直ぐに、ゲームそのものをAIが遊んで人よりも的確な評価をゲーム自体に点数を付け始めるだろう。
2000年代初頭まで続いたテレビ東京の6時間以上あるお正月の時代劇は何だったんや…📺
今のところ(僕は)AIは〈遊び合う相手〉だと思っている。
こうやって人間が動くことそのものがテクノロジーに超越されてしまった未来に於いては、絵を描くことも、料理を作ることも、そのうちオリンピックの競技の一つ一つになるのかもしれない。
というのは、ゲームをゲームたらしめているのは、〝制限〟があってこそだからであると思っている。
人間の動くこと、そのものがテクノロジーで〝制限〟された場合、〝行動〟そのものが評価軸として測られる未来があると思う。
AI化した人間から人間化したAIが守る話も作られるだろう。
こうなると哲学の分野が科学と密接になるのだと、より思う。
自分の作る話には、どこかアラビアンナイト風なところがあるな、と思う。(なんとなく)
おはようございます
今日朝起きたら、チャッブリンの映画の冒頭で流れるような音楽が流れる感じがした。
よく眠ったんだと思う。
年末、ダイエットの為にApple Watchを装着していようと思う。
(僕の言葉の真意を理解されない人も多々居るのではないか。まあ、いいか。)
大体において、自分の言葉を鼻で笑う人は、その人にとってのノリが合わないか、ソリが合わないかのことであって、内容を吟味して理解していることとは別であると思っている。
僕は大抵に於いてそういう洗脳主義ほどあしらってしまうので、あまり相性はよくないと思う。
宇多田ヒカルさんの「distance」をずっと〝天使〟って聴いてた💧
以前、レコード大賞新人賞を福井舞さんが獲らなかったことを未だに心残りに思ってる。
ジェロにやってどうすんねん、と思った。案の定音楽辞めてるし。
レコード(というような音楽をとりわけ好きじゃ無いんだけど、とりあえずビジネスに使えそうだから色々選ぶよ)大賞は、特に音楽好きが選んでいるとは思えない。
だから選考委員というのは政治家の次に恥ずかしい奴らなんだと思う。
_φ(・_・
自分の作った過去作にずっとしがみついて何かを批評し続けたく無いし、自分もそういう、そうした人間にならない様、気をつけたいなと思う。
山本太郎も本気で社会に訴えたいなら本を書けばいいのにな、と思う。
僕もあと2、3のコラムみたいなものを書けたら、冊子を作れるのではないか。_φ(・_・
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うつせみの世は夢にすぎず、
死とあらがいうるものはなし。
フランソワ・ヴィコン「遺言詩集」
寺山修司の言う「生き急ぐ」には、岡本太郎の言う「マイナスに賭けろ」に近いものがありますね。
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もぐもぐ。
俺が本物であるってだけなんだと思う。(だからあまり気にしなくていい)
(牛丼を食べながら)
〝無敵〟と〝本物〟というのは異なると思う。
〝無敵〟というのは比較対象があるのに対して、
〝本物〟というのはその存在がどうあるか、という問い、だけだと思う。
ねんまつ
さっきBOOKOFFへ行き、谷崎潤一郎の「刺青・秘密」を買いました。(ポイント220使用)2024年最後に買った本は谷崎でした。
よいお年を
バラエティで出来ないことをバラエティでやるっていうのがバラエティの鉄則である。
(と思う🙃)
お、俺に足りないのは、バラエティだ!
(🙃)
人生というのは無限に続く小数点の数を一つ一つ数えてゆくようなものだと思うんだよね…
や、学校というのは頭をよくする為にあるんじゃ無いんだよ?(📱🙃)
勉強を教える為にある(学校は)。そして学んだことを活かせるかどうかはその生徒ひとりひとりによっており、そこで使われる〈知恵〉を〝頭の良さ〟と「人々」が解釈もするだけである。
つまり〝知恵〟を使える様にすることが「学校」の役割であり、それは「人生」という大枠の「学校」でも同じなんじゃないかと思う。「人生」で教えられるもの、学べるものは〝勉強〟までで、それをどう活かしたか、ということが〝知恵〟である。つまり〝勉強〟が〝宿命〟であって、〝知恵〟が〝運命〟。
そういう意味では自らの〝運命〟を拓く人間こそ、「人々」によっては、本来の意味では〝頭がいい〟ということにならないだろうか?
😉
厳密に言えば、「試験会場」は「学校」では無い。
つまり、「〝よくする〟機会はあるが、〝よくなる〟かどうかは本人次第」ということであると思う。
だから〝地獄極楽は胸三寸にあり〟と云う。
😑