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メサコン(メサイア・コンプレックス)

はい。皆さんこんにちは。
英語講師のホリードAです。

哲学と心理学を勉強するなかで、メサイア・コンプレックスという概念を知りました。メサイアは「メシア」。つまりは、キリスト教における「救世主」のことです。自分を救世主だと錯覚し「私は弱い人の立場にある人を救っている、だから自分は人から感謝されるべきだ」という身勝手な妄想を抱く心理状態のを指します。自分が期待するような見返りを得られなかったときにやたら不機嫌にになったり、いかなる場合でも他人のために自己犠牲をいとわない「奴隷」と化してしまうことが予想されます。

うわ、私のことじゃん、となりました。
「誰かのために」という大義名分を掲げながらも、結局は自分をより都合な立場に立たせることで、自分を幸せにしようとする努力を怠っているだけ。「いつかは自分も救われるはずだ」と、あてもない希望を抱いては、時に「周囲の人間はもっと私に感謝するべき」と、身勝手な考えを持つ。

 あ、あの人、仕事でやらかしている。いや、でもこれを相手に言ったら傷つけてしまうかもしれない。相手には気づかれないように、私の方でそっとミスを修正しておこう。

仕事のミスのフォロー編

 やっぱり私、あの子のこと好きかもしれない。でも、食事になんか誘って、もし相手が自分に気がなかった場合、断り方を考えさせるの申し訳ないな。うん、じゃあやっぱり誘うのはやめよう。この気持ちはそっとしまい、好きじゃなくなるのを待とう。

食事の誘い方編

挙げればキリがありません。
メサイア・コンプレックスだらけの人生を送ってきた私。
考え方によれば、結局は自己保身で、他者と関わらずに済む言い訳として、自分が汚れ役を買っているに過ぎない。

人に気を遣えること。
これは確かに私の長所の一つではあると思います。
けれど、気を遣っているように見せかけて、相手を敵とみなし、自分は被害者ずらをしている一面があるのかもしれない。

本当の意味で「気を遣える」とはどういうことなのか。
今の行動ってメサコン(メサイア・コンプレックス)じゃない?
と、絶えず自身に問いかけながら他者と接しようと思います。

それではまたどこかで!


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