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人生

5歳 保育園で描いた絵を親に見せると、「首がないよ。」と嘲笑われ、絵を描くということに失望して、子供の唯一の表現方法を奪われた。
詳しくは、子供が絵を描くとき(著:磯部 錦司) をよんでもらうと絵の重要性がわかると思う。

6歳 学童の悪童とつるみ始めて、快楽や悪徳という蜜の味へ誘われる。

7歳 ムシキングを始め、カード蒐集を趣味とする。また、サッカーや野球を友達と楽しむ。公文という塾に通い始める。

8歳 学童で下級生を力任せに投げ飛ばし、親に説教を受ける。ムシキングの影はなくなり、サッカー小僧と化す。女の子にボールをぶつけて遊ぶガキ大将が誕生する。近所の障害者の同級生と仲良くなり、買ってもらったチャリを使って、万引きや廃墟巡りをする。近所の車の窓ガラスを割って、呼び出された。

9歳 悪行を繰り返し、先生からよく目をつけられるようになるが、自由奔放な精神を抑圧するブレーキは、既にぶっ壊れている。塾で仲良くなった悪ガキと仲良くなり、たびたび非行を繰り返すようになる。と言っても、犯罪をしているわけではないので、くだらないことをして、毎日を楽しく暮らしていた。公文では、不良仲間と塾長を打擲して、罵詈讒謗を吐き散らし、机に向かっている人たちを下に見ていた。

10歳 新しい担任から体罰を受ける。また、いじめの楽しさを覚え、ドラゴンボール好きなクラスメイトを殴って遊ぶ。偶然、その子の親と出会い、説教を受けたので、その鬱憤を晴らす為、不良仲間と家に爆竹と石と怒号を投げ込んだ。スイミングスクールに通い始める。

11歳 よく殴り合いの喧嘩をしていた。ひ弱なクラスメイトを突き飛ばしたり、持ち物を奪ってトイレに投げ込んだりしていた。クラスメイトから嫌われていた思い出がある。夏休みの宿題は、最後の日に勢いでやるという話をよく聞くが、俺は夏休みが始まると、帰ってきてから、次の登校日まで一度も宿題にも手を付けなかったので、そういう話を聞くと、ちょっと羨ましいと思う。ずっと不良仲間と遊んでた思い出しかない。

12歳 万引きと喫煙をして、親と呼び出される。祭りのエアガンで誰かに顔面を撃たれた思い出がある。スイミングスクールでは、なぜかよくいじめられた思い出がある。体格が良かったので、4、5人から殴られても、あまり痛くなかった。そこでは2、3人くらい仲良くなった。
母親と父親の関係が最悪になり、離婚して、母子家庭になる。

13歳 中学に上がり、スイミングスクールで仲良かった人とも顔を合わせるが、環境が違うということもあり、最初の挨拶だけしてそれから一言も口を聞かなかった。
また、入りたい部活もなかったので、とりあえず、ハンドボール部に入るが、なぜか顧問の体罰に遭う。
そして、今まで勉強をやってこなかったので、勉学に精を出そうとするが、精子しか出せない劣等生という烙印を押される。
クラスでは、だんだん孤立して、ニコ生とアニメに耽る日々を過ごす。好きなアニメのライトノベルを読み漁る。

14歳 学校にも行かなくなり、昼夜逆転の生活を過ごす。
またに顔を出すと、ちょっかいを出してくるクラスメイトを追いかけて殴ったら、窓ガラスで、気づいたら手が真っ赤になっていたことがあった。
弁償代は、むろん母親持ちなので、申し訳ないと思ってる。
勉強はしていなかったが、クラスメイトとは仲が良かったので、くだらない話をしていた。むろん、成績はオール1。
部活は、顔を出すが、顧問の体罰がひどく、なぜかわからないが、殴りつけてくるので、悩んでいた。
全校集会で欠伸をしながら聞いていたら、温厚な校長先生が壇上で、学校生活で悩みを抱えている者は校長室へということを言っていたので、その好機を逃さず、志願して、直談判したら「教育の一環だから...云々」という黙殺された思い出がある。

15歳 夏の三者面談を受ける。「このままだと行けるところないね。」と担任から現実を突きつけられる。
嫌々進学塾に通わされて、だんだんと深刻さに気づき、一念発起して、勉強に取り組む。
いろんな教師から、努力を認められ、成績が2や3のように成長する面白さを知る。
クラスメイトのチャラ男は、俺と志望校が同じらしく、休み時間は、セックスの予行練習と思しき体位を女に食らわしている愚行を横目に机に向かっていた。ロウきゅーぶ!というロリアニメの表紙を見られて、不良のクラスメイトにドン引きされる。
受験期の半年間は、かなり勉強をした覚えがある。
しかし、志望校の試験内容は、小論文と面接である。
小論文は、読書をしていたので全く問題なかったし、塾講師からの評価は満点だった。
そして試験当日。校門へ行くと、一年間、付き添ってくれた塾長が立っていた。
「がんばれよ!」
受験生が一番掛けられる言葉だが、この一言がカイロや白い息よりも暖かかったことを思い出す。
小論文を問題なく終えたが、面接に臨むが、絶望的である。
致命点は、俯瞰ということだった。
今でもそうなのだが、自分を客観視する能力が低すぎる。自分というものが鎮座しているため、相手より自分、自分は自分。という考えが礎である。
その夜、半ばヤケクソに、今までのストレスが溜まりに溜まって、半狂乱に叫びながら、ロケット花火を公園に撒き散らす。多分、通報行ってたと思う。
結局、その志望校へ二回ほど受けたが、落ちてしまった。一方でチャラ男はと言うと、受かったのか、余裕そうにイチャついていた。
この光景がなんとも憎たらしく、今までの人生が劣等感の塊と化した。
結局、定時制を受けて、無事合格する。試験内容が簡単すぎて、これから始まる学校生活に不安を抱く。

16歳 案の定、不安は的中した。
刺青、ギャル、赤色黄の髪色、ピアス、タバコと言ったように放埒が横行する入学式を迎える。
徐々に、クラスから孤立してゆき、孤独になる。しかし、全く苦ではなかった。なぜなら本が傍らにいたからである。
不良どもと一触即発になる。理由は、私が課題に取り組んでいた際に、ふざけた態度で臨んでいたため、叱責気味に言い放った言葉が原因で「後で裏こいや!」とお誘いを受けたが、時間が勿体ないので、颯爽と帰路へ就く。

17歳 バイトを始める。工場系で、なんとなく単調の仕事が楽そうだから選んだ。
勉強を怠ったせいで、数学のテストで0点を取る。舐め切った結果である。
太宰治に傾倒する。彼の弱さに影響されて、自殺を考えながら、使う予定もない溜まった金を使って、太宰治のゆかりの地を訪れる。(金木、群馬、三鷹)
バイトの先輩と仲良くなり、筋トレに誘われる。気軽に付いて行ったけど、のめり込み、15キロの減量に成功する。生きるのがめちゃくちゃ楽しくなった。
今まで、どうせ死ぬからが口癖だったが、どうせ死ぬなら死ぬ気でやった。
体を動かすことが楽しいので、なんなら仕事にしてしまおうと思い、漁師の求人を探すが、思いの外、見つからなくて、卒業生が働いてるゼネコンを気軽に受けたら、内定をもらえたので、全く情報を得ずに体一つで転がり込む意思を固める。
内定祝いに、親戚から10万円と祖母にロードバイクを買ってもらう。奥多摩や都内に行った思い出がある。

18歳 入社1日にして内定祝いの10万を使い果たす。酒と女に使ってしまった。たしか売春婦だった気がする。相変わらずアホである。しかも、社会人セミナーをサボって遊び歩いていた。社宅に転がり込む。初めての一人暮らしを経験するが、一式家具は揃っていたので、問題はなかった。(詳しくは、一人暮らしについて をよんでいただきたい。)
翌日、素知らぬ顔をして出勤して、全社員の前で挨拶をする。多分100人くらいはいた。
そして挨拶が終わるや否や、現場に駆り出されて、外人から訳の分からない指示を受けながら、ブラック企業の洗礼を受ける。
そして2日目、昨日の帰り際に、上司から明日の予定を聞くと朝7時集合と言われたので、予定通り出勤すると、怒号がとんできた。
「7時集合って言ったよな!段取りするんだから、30分前に出勤しろよ!」
一年ちょっと土建業界で働いてたけど、感情的になる人間が多い。あと、経験を棚に上げて、いじめてくる奴らが多い。そして私的にもっとも苦痛なのが、ちゃんとした指導がないので、教科書を自分で作る必要があるのだが、好き勝手やると怒られる。よく拳が飛んでくる。仕事を教えてくれた人は、数多の人と仕事してきたが、1、2人くらいである。あと、一年くらいの経験を積むといつの間にか、聞きづらくなると言う課題がある。
そんなこんなで、現場にも事務所にも会社のどこにも居場所がなくなり、新社会人フリーライダーが誕生する。
ある日、私の噂が立っていた。それは、幼少期のころに患ったおたふく風邪が原因で片耳が高度の難聴なため、現場で聴こえが悪いということである。学校からの健康診断には、聴力の項目がなく、学校側にも、会社側にも問題がないということらしく、現場に出たければ、手術するか、補聴器を買うかという決断を迫られた。
最寄りの耳鼻科へ行き、もっと精密な診察が必要と言われ、大学病院で診てもらうが、現代の技術だと手が出せないらしく、診断書をもらって補聴器屋へ赴いて、使用可能な補聴器を探すが、骨伝導のタイプくらいしか対応していないらしく、なんとか安くしてくださいとのことで、見積もりを出してもらう。ざっと30万くらいはした。給料の約二倍。
自分の将来のために、やっとの思いで出した。補聴器をつけて現場に出るが、骨伝導ということもあり、頭痛に悩まされる。パワハラのストレスもあったと思う。
しかし、現場に出ても、当初と扱いは変わらず、依然として丸罰ゲームのような業務に頭を悩ます日々。仕事はとても楽しいが、教育が杜撰で、全然コツがつかめずにいた。それを見て周囲の社員は、追い打ちをかける。やらせて覚えさせるならいいが、新人はやってもうまくできないので、見ていろという雰囲気に委縮してしまった。

この新人教育をずっと問題視していたので、部長や常務取締役に直談判するが、部長は現場気質なので、こう言う一般常識が通用しないのに対して、常務は理解してくれて、会議でこの新人教育について言及したが、是正されなかった。
ずっと俺をいじめてきた社員たちを見ると、眠っていたり、スマホを見ていた。
自覚症状がないのが、致命的である。
その会議の終わった後に、退職届を会社のパソコンで打ち込んで上司に提出して、職場を後にした。


19歳 転職先をハロワで探すことにした。土木業は面白く、諦めきれなかったので、とりあえず、地元に根付いている土建屋を片っ端から受けて2,3社目くらいで次の職場が決まった。翌日5時集合で、解放されたのが、夜7時だった。日々、右も左もわからない不慣れな新人が、周囲に怒鳴られながら、走り回っていた。いつまでたっても現場で慣れることはなかった。
ちょうど夏の時期の夜勤で8時間も寝れないくらい働いていた記憶しかない。
そんなあるとき、桶川の現場で40℃越えの炎天下で、朝から晩まで180℃くらいのアスファルト合材を敷いていて、眩暈がしてきた。最初は、熱中症と思って休んだが、翌日も慢性的に発症することになった。運転中も、食事中も、作業中も..三鷹の現場では、倒れそうになってしばらく休んだ。そして、三か月の研修期間を終わろうとしていたので、思い切って辞めることを決意した。
貯金残高を見ると、40万ほどあった。実家暮らしということもあり、生活に不自由はなかったため、これを機に旅に出ることにした。また、掌中には、欅坂と乃木坂の全国ツアーのチケットがあった。そこがちょうど横浜、名古屋、仙台と三ケ所当たったので、新幹線のチケットを早速買って前乗りして、風俗や酒やご馳走なんかの酒池肉林に耽った。
案の定、そんな金遣いは、自堕落な生活を促すだけで、物の大切さも、人生の貴重な若さや情熱を打ち捨てることしか教えてくれなかった。懐はひもじくなるとともに、これからの進路は教えてくれない。酒で忘れられる。しかし起きると、生々しい現実を突きつけられる。
そして、一か月足らずで使い果たす。当時、定時制で嘲弄していた不良どもと同格になってしまった!
仕方なく、実家に帰り、ハローワークへ通い始める。何も望まないただの求人に応募する。そして、20社あたり面接を受けると、だんだんと内定が決まり始める。工場や運転なんかがあったが、燃料会社に入社する。人事の人に通勤費の立替を頼まれたが、貯金が底を尽きていたので、親友に無心して、やっとの思いで出社することができた。

20歳 仕事はめちゃくちゃつまらなかった。まあ、選んだ仕事でもないので、甘んじた。無趣味で金を使うことがなかったので、夜遊びに耽り、ゲイバーにハマる。ひどいときは、週3で通ってた。
また、仕事中も暇だったので、退職予定の事務員を口説き落として、デートした。(人生の初デートを達成)しかし、殻に閉じこもったままの根暗女子だったので、恋は成就せず、音信不通になってしまった。燃料会社ということもあり、国家資格の取得を求められ、必死こいて合格する。その時に、SMにハマり始め、マゾ精神の愉しさに心を躍らせていた。しかし、SMの出費はかなり大変だったので、ボーナスをもらったときくらいしか行けなかった。一回5,6万はした覚えがある。今思えば、なんでそんな金を使ったかわからない。当時の俺は頭がおかしかったんだとおもう。しかし、SMで学ぶことはかなり多かった。スージーQ嬢様には感謝してる。自己肯定感や挑戦心や情熱を鼓舞してくれた。
SM嬢というのは、会話においてもサディスト的な姿勢で向き合ってくれるので、自信がなくなったら行ってみるといい。(女性のお客さんもいるようで。)自分より経験を積んでいる人の話を聞くのは刺激的な体験である。机に向き合う勉強以外にも方法はいろいろある。久々に行きたくなってきた・・・・・・。
他言語を身に着けたいと思って、池袋公園でやっている日中流行会というものに参加する。もっと和気あいあいと行うものかと思っていたら、2,30人の前で中国語で自己紹介を行ってくれと促される。しかし、わたしは、你好くらいしか知らないので、正直に中国語はしらないので、できません。と言ってみたら、嘲笑的な雰囲気で笑いを堪える面々。小ばかにされた気分で、参加したことを後悔する。
その後に、健気にいろいろな人に話しかけてみた。
笑っていた若い連中は、早稲田や慶応や東大のような高学歴の連中ということで納得してしまう。まあ、予備知識を備えてくるわなそりゃあ。
中国人と仲良くなっていた早稲田のチャラ男たちが話しかけてくる。
「さっきのスピーチ見てたよ(笑)中国語わからないの?」
「ま、まぁ・・・。」
「聞いたこともないの?」
「うん。とりあえず、中国語を始めたかったから今回参加したんだ!」
「すげー行動力(笑)連絡先交換しようよ。wechatって入れてる?」
「入れてないわ。インストールしてみる。」
四苦八苦しながらも入れてみると、チャラ男たちはいなくなっていた。
あたふたしていると、中国人の女性が話しかけてきて、登録の仕方を教えてくれて、連絡先を交換した。
「HSK試験ってしってます?」
「なんですかそれ?」
「この女性が知ってます!」
私は促されるままに、知らない女性のところへ連れていかれ、HSK試験というものの説明を受ける。よく話を聞いてみると、彼女は、HSKの関係者らしく、割引券をもらって直近の受験へ申し込む。帰路で、参考書を買って家で勉強を始める。また、HSK関係者が行っている社会人サークルへ参加する。
そこでは、英語や中国語の授業を受けた。終わったとに、教えている講師と話し合って、個人レッスンをお願いする。
その授業を週一で今まで続けてきた。あまり苦ではなかったので、よく続けてきた、と褒められるが、大した努力ではないと思っている。
日本人は、漢字で馴染み深く、筆記や識字には問題はないが、発音がめちゃくちゃ難しい。大体が会話で挫折するらしい。特に独学で行うと、発音是正が行われないので、こういう言語は、よき指導者に教わるのがいい。ネイティブよりも日本人に教わったほうがいい。なぜなら、同じ日本人だということを熟知したうえで、上手い教え方をしてくれるからである。

21歳 彼女が欲しくなったので、出会い系を始めるが、かなしいかな、ふざけた女が多いため、今現在に至るまで、恋愛を経験したことはない、むろん女性と手を握って歩いたことはない。ベッドの上でならあるが....
仕事がやっと面白くなってきた。主に配送である。接客に臨んだが、なかなかおもしろく、今までの仕事に一貫性がなく、方法というものの疑念を払拭できずにいた。そんなとき出会った本が、デカルトの方法序説である。そこからマルクスアウレリウス、エピクテトス、セネカ、キケローのようなストア派を渉猟する。
初めて新人教育を任される。18歳の時に職場の常務が、議論で言っていたこをを思い出した。「新人は、何もわからないのだから、自分が新人になったことを思い出して教育したほうがいい。」という言葉を念頭に置いて着手した。つまり、いきなり大きいことないし難問を解かせるのではなく、単純なことや解ける問題をやらせることである。これは、方法序説でも言われていることであって、この作品は、仕事の礎になっているといっても過言ではない。
ボーナスお金が余ったのでプラトン全集を買う。ほぼ新品の状態だったので、10万くらいした。それくらい掛けないと読まない気がした。ずっとプラトン著作を読んでいるが、まだまだ読み切れていない。一通り読んだのだが、古典の面白さというものは、読み直すと新たな発見がある。なぜ現代で古典を読む意義と読書法は、M.J.アドラーの本を読む本でもっと詳しく書かれてる。
東北横断(仙台~八戸)と京都嵐山寺院制覇を完遂する。ずっとやりたかったことなので、この達成感はとんでもない充足感に満ち溢れた。一人旅とは、孤独ではない。一人で考える大切さを味わう大切さがあるので、寂しいとかよくわからない理由を述べていないで、バックパックをもって旅立つべきである。自然にあふれている場所へ行くと、自然が寄り添ってくれる。とっても、いい人生経験を得ることができるので、旅は、一人で行くことに決めている。
22歳 本格的な自己革新を行う。海外への遍歴を計画していたが、頓挫する。まずは、身近で悩んでいる事柄から着手する。金という悩みの種を解決するため、投資に挑戦してみた。ビットコイン、イデコ、国債というものに手を出すが、短期よりも長期を目指したほうがいいということに結論付ける。既に大金を持っている人々が有利なのは、悲しい現実である。また、名誉や地位を持たざるものが、のし上がるのは、血を吐くような努力をしなけばならない。勝者になるには、彼らから分けてもらうしかない。
Youtuberでいうところのコラボや、無名タレントが、ゴールデン番組に出演するようなことが行われている。
しかし、プラトンやエピクロスを読んでいる時に思った。可視的なものが真理なのか?ということを。目に見えないものを考えることができるのは、理性を持っている人間の特権である。快楽や金の虜になるのは、きわめて動物的ではないのか。
すなわち、真理を追い求めるのが人間の意義ではないのか。そのうえで、巨万の富を得ることは必要であろうか?生活水準を上げるよりも、下げることを意識すれば簡単じゃないかということで、家計簿をつけ始める。
貯まっていくお金を使って、本、パソコン、スマホを買ったり、料理教室に通いはじめるように心身ともに余裕ある生活を送る。節約や倹約を過度に行うとケチになる、と菜根譚に書いてある。
また、贅沢な生活、ご馳走、酒池肉林、満腹、奢侈な装飾品、依存、快楽は不要であるし、ルソーの人間不平等起源論では、人工的な生活を送ると、不健康になるということも論じられてる。必要十分で、満たされすぎないことを念頭に置くことが大切である。
巷で流行っているミニマリストは、犬儒派のような自然本来の大切な人間の存在意義を考察する大切な生き方だと思う。古今東西このような生き方が重んじられている。私は、ミニマリストではないが、必要最低限の生活を送ることを補足しておく。
そして、プラトンの理想国家が実現した際には、ミニマリストないし様々な人々の幸せが実現されうると思う。
私は、満たされないことにも快があるということを発見した。エピクロスは、苦しめられている際に、快を求めるという。私も当初は、渇くことを恐れて、潤い満たし、盃は大きくなり、充足するために新たな水を欲することに奔走していた。
私は、渇き切った先の世界を見ることを望んだ。いや、満たされることに嫌気が差したのかもしれない。昨今は、外へ出れば好きなだけ飲み食いできる。この充足感を疑ったのだ。
渇望は、苦しいことだと思われているが、本当にそうなのだろうか?
それを知るには、体験するしかないということで、朝飯を抜いてみた。その結果は素晴らしかった。食費と時間と空腹が手に入る。思考の整理学でも朝食のことに言及されている。

現在 23歳手前 幸せに生きるために何か必要なのか模索中である。とりあえず、読書を続けてそれを実践していくまでである。
金閣寺で語られている認識と行為。どちらが世界を変貌させるのか.........


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