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大衆演劇

いつもの新宿駅。雑踏の中で私はある女性を待っていた。
「お待たせしました」
声が掛ったので反射的に「こんにちは」と形式的な挨拶を交わす。
彼女探しに奔走している私は、毎週いろんな女性との逢瀬を重ねていた。今日は、正体不明の天真爛漫な同い年の女の子であった。彼女の身なりは、なんとも典型的な金を持っていると誇示しているくらいシャネルで身を纏っていた。
「もえさんっていつも電車とか使ったりするんですか」
「あんま使わないですよね~普段はタクシー移動かな」
「タクシーか~都心だと色々な交通手段があって便利ですよね」
キャッシュレス決済、利便性向上が促される現代。持っている量は限られるのに、物は優になっていく。人々の心は擦り減っていくのみ。
「でも、家から近かったので、10分も掛らなかったですよ。新宿の一等地に二軒くらい家を持ってるので」
白々しい金持ちアピールは、どこか自信なさげだった。自信がある者は、虚勢なんて張らないからだ。
「このカフェにしましょう」
「もえさんおススメのところですね!楽しみです!」

席に着くや否や彼女は上着を脱ぎだして肩を見せびらかした大胆なニットを見せつけてきた。この女ひどく自己顕示欲にやられているようだ、早くも心理分析なるものへ促される。現代では、身なりで人の価値を定めるのは困難になってしまったが、本性はある程度わかってしまう。外見で判断できるのは、そのせいだろう。しかし、知性的活動を判断するのは、外見では全然不十分であり、対話を重ねなければ相手が持っている珠玉を見つけることが困難である。

「何食べます?」
「朝食をまだ摂ってないから、モーニングも食べようかな。俺はココアとサンドイッチで」
「了解です」
彼女はウエイトレスを呼びつけると洗練された注文法で颯爽と立ち去らせた。
「もえさんは、いつもこういう喫茶店とかってくるんですか」
「普段は、こういうところで朝食を摂って職場へ向かうので日常的ですね」
先ほどの注文法も合点がいった。
「私は、亮太さんの人柄が知りたいな」
「俺の人生遍歴でも話しましょうか。興味あればですけど」
「聞きたいです!」
私は詳らかに人生を話した。彼女は意外そうな面持ちで聞いていたが、段々と関心そのものがなくなってしまったようで、私が最も忌避していた仕事の話になってしまった。
「今の仕事に満足してますか」
「仕事と私生活を截然することこそ俺の哲学思想だと思うんですよね」
「ん、まぁ。自由が手に入るのは、お金があれば問題ないじゃないですか。こうして私も地位と名誉と財産を持っているわけですし、生活に何不自由なく暮らしてます」
「まあ結局は奴隷なんですよ。資本主義の原理は、資本の利潤ではなく、富の再分配です。もしかしてマルクスの資本論を読まないで経済学なんてやってるんですか」
まあもうここまで来たら、恋愛なんて抜きにして自分の思想を披瀝してめちゃくちゃにしてやろうという意気込みだった。
「現代の経済学でも十分でしょ?現に私は稼げてるんだし」
「財産所有で満足している以上あなたは資本主義の傀儡ですよ。ルソーは奴隷制を否定したけど、資本主義も奴隷制が変遷しただけでしょ?資本家と労働者という絶対的関係性は瓦解しない。労働者は資本家たちが握っている金銭を目的として働く。これこそが愚かなんですよ。国家や社会が構成するのは、個人の意志によってですからね。社会を変えるのは個人なんですよ」
「一人が変わっても社会なんて変わらないよ。稼ぐ力を培って自立していくまでね。私はあなたに稼ぐ力を伝授しようと思ったんだけど」
「社会が生み出すのは、そういう悪という意志の権化です。全学連の革命戦術が頓挫したのも、大衆心理を把握できていなかった。かれらはオルテガの大衆の反逆にやられてしまった俗物に過ぎなかったんですよ。世の中を見ても、まともに学問を理解して勉強してる人間なんて少なくて、受験勉強をする目的もいい学校へ入っていい就職先へ就くという手段でしか用いられていない。研究機関の一形態が社会という実践哲学へ包摂していること自体が誤りなんですよ。カントは、哲学概念を学校と世界に峻別したのはそういう意図だと思いますけどね」
彼女は、私の哲学講義を傍目にゆで卵に大量の塩をかけて頬張っていた。
私は、その態度にガッカリしてしまったので、伝票を持って身支度を促そうとしたら、彼女は嫌がらせのようにサンドイッチを追加注文していた。これには思わず吹き出してしまった。
彼女とは、実は馬が合うのかもしれない。


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