プチ須賀川旅
今年の夏は特に暑い気がしてならないのは僕だけだろうか。蝉の声がうるさい。クーラー無しではいられないが、付けると乾燥で体調を崩す僕だ。だから夏は生きづらい。
「来週遊びにこない?」
そう声をかけてくれたのは福島の須賀川に住む大学時代の友人だった。ちょうど予定が空いている。直前だったため、新幹線のチケットは思ったよりも高くついた。旅が決まると、心がそこに向かっていくような小さな高揚感がある。
東京駅で迷いながら、東北新幹線の看板を追いかけた。やっとの思いでたどり着くと、すぐにかすれた空気の音とともに発車した。ギリギリセーフ。景色がものすごいスピードで後ろに流れていくことには、大人になった今もまだ慣れない。気づくと、車内のアナウンスが「郡山駅」を告げた。
改札を出ると、「たいき」が手を振りながら走ってきてくれた。わざわざ走らなくてもいいのに、と心の中で半分笑っていたが、妹と同い年の彼はそういう柴犬のような愛くるしさを持ち合わせている人だ。
あとから「えっちゃん」も続いて歩いてきた。彼女とは大学時代からの付き合いで、音楽の趣味が合うため、よく遊んでいる。同じく犬で例えるなら、ゴールデンレトリバーのような人だ。
近くのパーキングに停められた、たいきの車に乗りこんだ。数分走らせると、景色が田園や森や畑へと姿を変えた。緑がアスファルトを飲み込んでしまったような感覚にもなる。人間の手が及んでいないこの緑と暮らしている人がいるのだろう。
ぼんやりと将来は田舎に住みたいという憧れがある僕にとって、それは羨ましくもあり、想像が出来ないことによる畏れも同時に感じる。
着いたのは翠ヶ丘公園という場所。地域活性の一端を担う意味で建てられた、とてつもないサウナがあるらしい。そんなこと言われたら行きたくなってしまい、わざわざ福島まで来たのだ。
いざ出陣。
木の匂いがいっぱいに広がるサウナ室で、温度は100度くらい。綺麗で魅力的だけど、それだけなら別に都会にもある。12分くらいなんとか熱さに耐えて、水の中に勢いよく体全体を浸す。
少し前の僕は、サウナが大嫌いだった。
熱い密室に閉じこもり、じっとして、やっと出たと思ったら今度はキンキンに冷えた水の中に入る。正気の沙汰とは思えない。温度の差で心臓がおかしくなって死ぬんじゃないかとすら思った。温泉に行くたびに、そんなおじさん達の姿を小さい頃から遠目に見ていた。どう考えても怪しい宗教だとかオカルトとか、そっちに近い。変態の所業だとしか思えなかった。
ある時、サウナ好きの友人に連れて行ってもらってから、ようやく変態おじさん達の奇行の意味が分かった。あの人たちは、熱いのが楽しい訳じゃない。冷たくて喜んでいる訳でもない。
熱さによって膨張した血管が、冷たさによって一気に収縮すると、体が危機に備えて「交感神経」優位の状態になる。それが身体を休めることによって「副交感神経」が働きはじめる。そうすると身体は自然とリラックスしていくという仕組みだそうだ。
理屈を聞かされて頭では分かっても、やっぱり偏見は拭えなかった。でも、三回くらい入ったところでだんだん「整う」というよく分からない言葉でうやむやにされていた感覚を自分で感じてみて、やっと納得した。
なるほど、あの人達はこのリラックスの極地を求めていたのか。変態の謎がようやく解けた。
露天風呂に繋がる扉を押すと、その隙間から吹き込んできた福島の空気が肌を伝う。用意されたイスに腰をかけて、目を瞑る。少しずつ、全身の力が抜けていくのが分かる。
いつもよりクリアに聞こえる鳥の声。風に揺れて松の葉と葉が擦れる音。こだまする蝉時雨。
最高に心地よい。
まるで別の生き物が胸の中に棲みついたように、自分の意思と関係なく心臓の拍動がリズムを刻む。血が巡る感覚が分かるような気がする。
ようやく目を開けると、視界いっぱいに日暮れた空が広がっている。そこに筆で勢いよく線を描いたように松の影が高く伸びていた。こんなに広い空を見たのは久しぶりな気がした。
こりゃ、とてつもないわ。
お腹が空いてきたな、と思ったら気づけば三時間も経っていて驚いた。須賀川名物と連れてこられたのは「伏竜」という二郎ラーメンの店。
あれ、横浜でも食えるやん、と心の中で思いながらも、漂う香りにたまらず大盛りを注文。机に届いた器を置く音から、重量感が伝わってくる。割り箸を勢いよく割る。もやしの山から掘り出した麺は、湯気を纏っている。一気にすする。
うんまぁ!!!
これは須賀川名物で間違いない。サウナも相まって、何倍も美味く感じた。こんな最高の日があっていいのかと思うくらいに、須賀川はいつも心から満たしてくれる。
ここまでが一日目の話で、ここから先にもっと最高な出来事が起こったりしたんだけれど、それはあえて書かずに、思い出しながら心の中でニヤニヤするために取っておこうと思う。
まあ、この文章を一言でまとめると「須賀川最高。また行きます。」ということだ。