機が熟す
229日
熟す手前でもなく、
熟し過ぎた後でもなく、
頃合いのタイミングを感じる。
野菜や果物もそう。
熟す手前だからの良さ、熟し過ぎた後だからの良さも当然ある。
それでも、ちょうどよく熟したそれは本当に素晴らしい。
それぞれのタイミングの良さはあり、用途によってタイミングは変われど、
そのものが持つポテンシャルの最大限はベストの時に熟している時なのは変わらない。
人間界においての樹が熟すで言うと、
熟す手前の段階で判断してしまうことが多いような気がしている。
我慢が出来なかったり、
あまりにも判断が早過ぎてしまったり。
野菜や果物は人が熟し度を見極めるので自分ではコントロール出来ないが、
人においては自分自身でその判断をするためにどうしても自分の状態によって熟し度の物差しが変わってしまう。それは、良いも悪いも。
期間の長さだけでは決めることは出来ないが、
今その判断は、
その機をちゃんと感じられているのだろうか?
焦ってはいないか、
今しかないと決めつけていないか、
ただそこから離れたいだけの理由づけをしているだけではないか、
などを冷静に、そして客観的に踏まえていられているのかどうか。
そこがすごく大切だと思う。
色々な意味で機は熟す。
自分にとっても周りにとっても。
熟す手前の判断だけに陥らないように。
機が熟す時を感じること。