343日目 細くても長く続けること。 長く続くこと。 太く、短いの勢いも与える影響やそのエネルギー自体はとても大事だが、 細く、長くの覚悟もとても大事である。 細く、長くは、 必要以上に得ようとせず、 必要なものを必要な分だけを加減出来ること、 そして自身の身の丈を把握していること、 やれること、やれないこと、 負荷をかけてやってみようとすることなどを分かっている。 分かっているというよりかは、その自問自答を繰り返し続けている。 目の前の誘惑などに囚われず、 自分たちがや
342日目 こんにちはと言われたらこんにちはと返す。 会釈されたら会釈し返す。 何かを差し出されたら、ありがとうや、はい、などの何かしらの言葉を返す。 ありがとうございますと声かけられたら、相応しい言葉を返す。 ご馳走様ですと伝えて店を出たり、 コンビニでレシートいりますか?と聞かれたら、ちゃんといりませんと答えたり。 あまりにも反応がない世の中になっている。 ご馳走様も言わずに無言で出る。 メニューを渡されても何も反応をしない。 エレベーターで出る際に先に譲ってもらっ
341日目 あまり構えないほうがいい時もある。 あれこれ予定を立て、必要以上に準備をして、 万全過ぎるほどの心の状態を作り、それが全てになること。 内容や状況にもよるが、 予定を立てても、いざ予定が無くなった時、 準備をし過ぎても全く想定外の事が起こったり、 どれだけ心の準備をしても同じく想定外の事が起こり、パニックになったり。 時の流れに身を任せてもいいかもという隙間がないと、 受け入れられなかったり、 身動きが取れなくなったりしてしまう。 予定が無くなれば、 無くな
340日目 自分自身の心の充実度を心から意識してみる。 自己都合や自分勝手の繰り返しで心の充実を図るのではなく、 純度の高い心の充実だ。 それはお金をしっかり稼ぐことかもしれなければ、 お金よりも働く環境や、 住む場所なのかもしれない。 お金をしっかり稼ぐといっても、 年収500万でも、1000万でも稼いだ感覚になる人もいれば、1億稼いでいても満たされない人もいる。 自分自身の好き嫌いの話ではなく、 何が自分にとっての充実なのかを問うこと自体、していない人が多いように感
339日目 行動や言動に対しての映り方。 人の目を気にする、気にし過ぎ、特に日本人はと思うこともあるが、 人の目を気にし過ぎないよりかはまだいいのでは?とも感じる。 もちろん何事もバランスなので、どちらにもより過ぎてしまうのは具合は悪い。 それでも、 ビクビクと人の目を気にするのとは違い、 他人からの映り方はちゃんと気にしたほうがいい。 何かを達成した時の振る舞い、 窮地に追い込まれた時の振る舞い、 自分自身の状況が変化する時の振る舞い等。 映り方を気にできない時という
338日目 男性はそもそも出産を経験出来ない。 全ての女性が出産される訳ではないが、これだけは何があっても男性は経験出来ないということを意味したい。 宿ってから、常にお腹のなかに生命を感じ共に生活し続ける。 お腹が大きくなると多少の不自由が発生する。 自分が口にするものを当然気をつける。 自分自身の体調のコントロール、つわりなどのお知らせがあればそれはとてもしんどいこと。 そして産まれる瞬間はまさに壮絶だ。 色々な出産があると思う。 でも、 迎えるまではただ出てきてくれ
337日目 序列と役割は違う。 役職は確かに序列のように構成されているが、 役職はあくまでも役割であって、 序列ではないと思う。 社長が偉いのか? 序列で言えばそうかもしれないが、 社長は1つの役割であって、偉いということではない。 社長という役割には、 並大抵ではないレベルで課されていること、責任がある。 誰もが出来ない必要なことがその役割には振られているのだと思う。 それが、 序列や、所謂の偉いという言葉に繋がるのだろうが、 決して偉い訳ではない。 総理大臣も偉い訳で
336日目 パフォーマンス力。 これは場数を踏まないと本当に難しい。 場数を踏まない限り上がることのないパフォーマンス力は、 パフォーマンスをし続けるしかない。 ということは、 パフォーマンスしたての最初は当然自分自身も見ていられないようなパフォーマンスとなる。 それを逆手に、 どうすればもっと良くなるのか、 どんなものを取り入れたら面白みが出るのかなど、そこから全てが始まる。 自分自身ですら見ていられないようなパフォーマンスレベルで歩みを止めてしまうとそこからは上がるこ
335日目 同じような境遇が起こっても、 人によっては気づきになり、 人によっては気づきにならない。 きっかけというのはとても面白いもので、 きっかけ自体の大小は全く図れず、 そのタイミングもまた別々である。 まさかと思うようなところで大きな気づきになったり、 これは気づくだろうということでもきっかけにならない人もいる。 方程式化出来ないきっかけ。 きっかけは1つのチャンスとしても置き換えられる。 これだけどこかに、 そして色々なタイミングできっかけがあるということ
334日目 時代を遡ると、 教科書時代では得られなかった発見がある。 タイミングとは面白いもので、 生命が誕生するであろう時に、 そもそも生命が最初に誕生したのはいつなのだろうか? 日本という国が建国されたのはいつなのだろうか? そんな事が気になり始める。 イザナギ、イザナミの話はどれくらい前の話なのか。 神話なのだが、 その神話、古事記はいつの時代に書かれたものなのか。 調べ始めるとたくさんの気づきがある。 2024年を迎えているが、 2024年前よりもっと前、紀元
333日目 嬉しい。 楽しい。 幸せ。 そう思えること、そう思えたことをそこで止めない。 例えば、 美味しいと思ったその場所を、 自分が知っているだけに留めてしまうのか、 ここ美味しかったよと、 誰かにもその美味しいを感じてもらえたらと思うのかの違いと似ている。 ここで色々な勘違いをされるのだが、 感じてもらいたいのはエゴでそうすることではない。 美味しいを同じように美味しいと思ってもらいたいではなく、 美味しくて嬉しかったことを、 その人も少しでも感じてもらえたら、嬉し
332日目 休まずに走り続け、 家族との時間も、大切な人との時間も、 何もかもを犠牲にし、 全てをそれに捧げ、 やがて達成出来る何かがきっとある。 きっとあるのは確かだとしても、 家族との時間も大切な人との時間も犠牲にして得たその達成は、 そのような人であったら、 犠牲にしなかったとしても、達成出来なかったのだろうか? 休まずに走り続けるというのは、 最初から休むことを前提に動いている人とでは当然差が出る。 休まずに走り続けるくらいの勢いはあってもいい。 むしろあったほ
331日目 連絡を待ったり、 予定を動かさなかったりなどせず、 会おうと思えば会えるような状況が作れるのであれば会っておいたほうがいい。 無理してどうこうするのではなく、 自分から連絡さえすれば会えたり、 少し予定をズラせば会えるような時の話である。 会える時に会っておくというのは大切なことのように感じる。 お年を召した方ならなおさら、 会えるうちに会っておかないと、いざ会いたい時に会えなくなるもの。 立て続けに誰かが亡くなったニュースを見るとなおさら思う。 それぞれ
330日目 厳しい言葉をかけてくれる存在。 耳が痛くなるような、時には逃げ出したくなるほどの辛辣な言葉をかけてくれる存在。 歳を重ねれば重ねるほどそういう存在の方は減ってくる。 罵倒や罵声のような一方的な感情の言葉は厳しい言葉ではない。 それは厳しさではなく、ただの必要のないいけない言葉だ。 厳しさの中には必ず想いがある。愛である。 ぐうの音も出ない、返す言葉も見つからない、耳を塞ぎたくなる、胸が締め付けられるような感覚は、瞬間的にはとても苦しいが、 その苦しさだけに惑
329日目 やられたらやり返す。 勝負の世界ではよく使う言葉。 では、勝負の世界でなければ? そうされたからといって、同じようなことはしないほうがいい。 色々な場面であると思う。 こう教わったから。 自分の時はこうだったからなど。 その時に、 もっとこうしていたら、が少なからずあること。 そしたら、同じように教えるのではなく、 自分の時はそうだったからではなく、ちゃんと変換して伝えたり、教えるほうがいい。 全く同じカタチで理にかなっているなら変える必要はないが、 ただ
328日目 伝えることは、 伝え続ける歩みを止めない。 伝わることは、 伝え方を一方的にせず、 相手に伝わるように言葉やタイミングを選ぶ。 伝えることと伝わることは併せてとても大事なことだと思う。 伝えていても、伝わらなければ元も子もない。 そもそも伝えることをやめた瞬間に伝わる可能性は無くなる。 伝えなくても伝わることももちろんあるが、 大体は伝えないと伝わらない。 伝えても伝わらないことがあることを分かった上で伝え続ける。 伝わらなければ、伝え方がいけないのか、