359日目
「鍛」は、金属を熱して叩く。
「錬」は、金属を練り合わせる。
金属加工を表す二つの言葉を繋ぎ、その派生から、
鍛錬は叩いて、練り上げる、つまり成長やスキル向上を表す言葉となった。
金属のように、まず熱に耐えられること。
叩かれる厳しさに耐えられること。
練り合わせることは柔軟性も意味していることと思う。
耐えて、学び、その一つ一つをバラバラにせず、
肥やしにして繋げる。
熱が無ければまず叩いても伸びない。
熱という厳しさの中にいなければ、叩いて伸びないということは無関心に近いような状態であるということ。
無関心な人を叩いても響かない。
熱という厳しさには耐えられていても、叩かれた際に壊れてしまえば元も子もない。
壊れない強さも必要である。
練り合わせるというのは、そこで培ったものをそれで終わらせず、
組み合わせたり、応用し、自分で考え、咀嚼してまたそれを伝えたりする。
鍛錬が足りないというのはその上記が全て足りないということ。
成長過程において、
鍛錬が無く成長というのは難しい。
では鍛錬とは何なのか?という紐を解いてみると、
厳しさが当然必要で、壊れない強さを併せ持ち、学んだことを繋ぎ合わせて応用するという考え方が大切なことが分かる。
自分自身へ言い聞かせるのだが、
日々鍛錬に尽きる。