幹を太くするために
194日目
見て学べ。
理不尽なことを言われてばかり。
時には手が出ることも。
8時間労働?終電を逃すことだってザラにある。
コンプライアンス?そんな言葉は聞いたことすらない。
一歩掛け違えば全てハラスメント。
その時代を正当化する訳ではないが、
多くの人がその時代は経験してきたはず。
その時代が悪く、
どうにかしたくて今のようになったのか?
とてもそうには思えない。
見て学べだけではなく、見て学ぶところ、解説して学べることを分けて考えたり、
理不尽だけでは通じないと思うから、そうならないようにしたり。
手が出ることはあまりにも乱暴だからこそ、そうならなくなり。
統計は取れなくとも、
時代を踏まえた上で、人の幹は太くなっていったのか?
昔当たり前のように起こっていたことを経験してきた人と、それを経験せずにいまを迎えている人との幹の太さの差は埋められているのか?
とてもそうには思えない。
あの頃はよかった。
言いたくはないが、そう思うのならそれが続くように守るべきところは守るべきだし、
あの頃は良い部分もあればそうでないところもあった、
だから今はこう変えていかなくてはいけない、があれば今あるやり方での幹を太くさせる方法を考えていかないといけない。
ルールを設けることが悪いことではない。
ただ、
そのルールで人の幹が太くなっていくとイメージしている人はどれくらいいるのだろうか?
極端な例えだが、
8時間労働だけで、人の幹は太くなっていくのだろうか?
そのルールを守りながら、叶えれるように考えることはもちろん大切。その新しいやり方は確かに成長であり、
今の時代のやり方はそれはそれで模索しないといけない。
だがしかし。
簡単に辞めることも、
簡単に訴えることも、
簡単に諦めることも、
簡単に誰かのせいや環境のせいに出来過ぎてしまう今。
人の幹は太くなる訳がない。
幹の細い人ばかりになってしまう。
あの頃はまだそんなことになっていなかったのにだ。
いい大人が、
大人として、
様々を経験してきたからこそ、
あの頃は、だけで片付けるのではなく、
今、幹を太くしていくためには?を考え、特に伝えること、歩み寄ることをしていかないとどう考えても今のままでは人の幹は太くなっていかない。
自発的に気付いた者だけという排他的なことになってしまう。
幹を太くしていく動きを各々の身近なところから。
同じやり方では通用しないが、
同じような仲間を増やしていくために必要なこととは?
一方的にならずの方法とは?
物凄く、
大事な部分だと感じている。