346日目
納得感を得るために、納得するまで追求する。
人は納得感を得ないと満足しないことが多い。
納得感というのは自分が勝手に期待している部分もある。
その期待を上回らないから不満になる。
こうであって欲しい、こんなものではないはずと。
過度な期待はお互いにとっていいものではないことを前提として、
(指標のない期待を科せられるほうも、応えられるかどうか定かでなければ、相手が望んでいない期待をかけるほうも)
自分自身が納得いくまで追求することはある部分では大切なことのように思う。
追求するということは納得した風に妥協したくないということ。
それでいいやというようなことはしたくないということである。
心から納得したものにお金をかけたい。
心から納得するまで話し合いたい。
お金をかけるのになんでもいい訳がなく、
どうでもいい人でないからこそ話し合いたいという想い。
納得感というのは適当にしたくないという、その人なりの誠意なのだと思う。
人それぞれその納得感の物差しは変わるが、
人はどこかで納得感を追っているのだと分かっているかだけで対応や考えることも変わる。
納得感の存在を再確認出来た。