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マアルヤ!について、つらつらと。

高千穂に来たこと

久しぶりに、なんの目的もない文章を書こうと思う。2021年も半分終わったことだし、他愛もない雑感のような、そんなようなものだ。

ひょんなことから訪れた高千穂に、なんだかご縁を感じて、よく遊びにきていた。有り難いことに、そうこうしているうちに物件や田畑の話が申し合わせたように、素晴らしいご縁に恵まれて進んだ。

移住なんて、"そんなもん"なんだろうと思う。タイミングと御縁、それくらいのものだ。

そんな"縁"があった家は、築200年以上の6DK(土間付き)だった。隣には竹林と畑がついている。小さな山も買った。竹林の中には五右衛門風呂の廃墟があり、絶賛発掘中。やっと6割くらいかと。冬にはなるべく全面を整備して、三年後に果樹畑にする予定。

家もほとんど自分たちで修理(高千穂では"あつかう"というらしい)して、大工さんには、床や外壁、カウンターテーブルの基礎など難しいところをお願いした。DIYは竹田に住んでいた頃、『暮らす実験室IKI』で"見て"いたので、なんとなくできるような気がしていた。→https://note.com/yutakism/n/n401ad360ec47

実際には水道や電気など、YouTubeだけではどうにもならず、やはりプロに習って進めなければならない箇所も多かったが、今後のためにも色々と覚えられたのはよかった。

何をしに来たのか

そもそも、何をしに山奥から、こんなにももっと山奥に引っ越してきたのか。それは僕がライフワークとして「エコビレッジ」というものについて知りたいと思っているからだ。「村づくり」ともっと砕けて言ってもいいそれは、この時代に"誰かと関わる"ということに関する齟齬の、一つの答えを提示してくれるような気がしている。とても乱暴にまとめてしまったが、要は「人と暮らす」事によって、もっと「自分のこと」を知りたい。という物凄くワガママな考え方なのかもしれない。

ともかく、僕は大学時代に研究室で出会った恩師の、なんともワクワクし続けている姿が脳裏に焼き付いている。そして、リサーチの中で会い続けた現代の価値観を超えた「与え合い」の生態系に生きる人々について、生涯かけて知りたいと思ったのだ。今でこそギフト/シェアリングエコノミーなどと言われるその考え方は、ずいぶん昔から世界中で彼らの中に根付いていた。それについて、リノベーションと農作、食料自給とコミュニティビルディングの実践を通して、まだまだ知りたいという欲求がどんどん増してきて、いろんなタイミングが重なった今回の移住に繋がった。

何から手をつけるか

さて、住み始めたけれど何から手をつけるのか。

田畑、加工(製麺)、飲食やレコーディングスタジオ。サウナや木工までやってみたいことだけは山積みだが、もちろんできることは限られている。そもそもリノベや山の整備に追われて、全く進まない。この後10年以上きっと住むのだろうから、ゆっくりやれば良いと思った。そしてまずは、田んぼから手をつけた。友人の縁で借りられた、6畝の3枚の棚田を耕し始めた。全くの素人の僕は、地域の人や仲間たちに助けられながら、なんとかかんとか田植えを終えて、草取りに追われながらも元気に育ってくれている。

田んぼを始めて気づいたのだが、そもそも目的を"達成すること"自体にはそんなに意味がないように感じてきている。日々、土や水、天気と向き合っているだけで、小さな因果関係が見えてきて、それを識る、感じること自体がゴールのようにすら思える瞬間があるのだ。それは、今まで学んだ他のどんな技術にも共通点は乏しい。唯一、音楽とだけは、とても近しい感覚だった。

と、書いてくると、とうとう自然回帰した"脱サラおじさん"のエセスピリチュアル感が出てくる。しかしながら、紛れもなく30年間、何処かで自分が求めてきた世界に、一歩足を踏み入れた気がした。

マアルヤ!という空間

そもそも、先ず僕はこの10年、ここで何をしたいのか。

まだ簡潔には全く言えないのだけれど、"自由"という言葉がずいぶん昔、恐らく15年以上前から心の何処かに引っかかっている。20代はとにかく成功することや、結果を残すことだけが「自由への近道」だと信じていた。僕の場合の話をすると、成功しようが失敗しようが、ちっとも"自由"にはなれなかった。きっと継続が足りなかったのかもしれないのだが、そんな気も起きないほど僕には虚しく"無" だけが残った。「誰かから認められたい」という欲求からは、何も産まれない事を学んだ。

その結果、新たな10年のテーマは"無"を目指すことに設定した。少し変な表現になるのだが、今まであまりに「意義ある事」に囚われて、"自由"とは反対方向に走ってきたように思った。だからこそ、ハナから"意味のない自由さ"の方向へ、自分のバランス感覚とワクワクすることだけを信じて、進んでみようと思ったのだ。

もちろん、僕には妻と3人の息子がいるので、その"バランス"の中には最低限の収入も含まれる。けれども、もうそれ以上の財は必要もないし、大切なのは"どんな時間をどんな感情で誰と過ごすか"であることを、この暮らしの中でより鮮明に実感し始めている。

『マアルヤ!』は、そんな"無秩序からの循環"をイメージした、意味の無い言葉だ。    "!"には、点と線、つまり0と1の形がある。

そんな合間に、過程にこそ。

全ての価値と、虚無と、希望と、使命と。

"そんなようなもの"が、詰まっている。

マアルヤ!

そしてそれを音楽にしたのが、この暮らしの中から産まれた新たな2曲。

『0と花』と『ヒカリカラ』だ。

結局最後は宣伝になるのが、悪癖だけれど。それもご愛嬌だぜ。笑

長々と読んでくれてありがとう。

0と花ツアー

そんなあなたとは、ライブ会場でお会いしましょう。

どうぞ、ご一緒に。

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