誰も排除されないまぜこぜな社会になる事を願う
津久井やまゆり園の事件から3年。この事件の背景や要因はいろいろありますが、私なりに気になっている点から申しますと
「多様性を認める」これは素晴らしい事だと思います。
「障害者なんて世の中から居なくなってほしい」
私は良いとは思わない事も、認める事は出来なくても、そういった考えを持った方が居るという認識が必要かと思っています。
殺人や暴行、暴言、批判、紛争や戦争、それぞれの背景や状況においても、自分たちの考え方を「正当化」するところから始まってます。
人間は誰しも過ちを犯します。その過ちも人を傷つけたり攻撃したりする結果に至る事もあるのでしょう。
何億万年前から生物が誕生し、様々な進化を経て人類が誕生して、様々な人種や言語、国や地域が形成されて、身近なコミュニティや社会においても人と人とが関わる。人類の祖先や恐竜なども地球の気候や環境の変化もあるにせよ、争いの中から絶滅や進化が背景にあるのかと生物学者でもない文化人類学者でもない私は思いました。
「マズローの5段階の欲求」と言い切ることは出来ないが、認める、認められるという「承認」の部分において津久井やまゆり園の事件もそうですが、今年に入ってから川崎市の小学生が襲撃されたり、京都アニメーションの放火事件も、こういった事件には同じような背景があるのではないかと私は思いました。
好きとか嫌いとかに理由があったりなかったり、本能的な思いは大切にしないといけないし、ここまで書いた私の考えが押し付けられるような事があってはならない。
国や社会の仕組みにはいろんな要望もあります。しかし、総理大臣の考えと違うからといって暴言が許されるような世の中を望まない。また総理大臣も総理大臣で「あの時代に…」なんて事を言ってましたが、政権が変わった原因は総理大臣にもあったと思います。
今回の選挙は若者の投票率の低下も言われてますが、高齢者や障害を持った方の投票率も下がっていると思います。確か858箇所の投票所が減ったそうです。
誰もが暮らしやすい社会になるためには、誰もが投票しやすい環境を提供できるようにしてほしいし、もし政治家の方がこれを読んでいたなら、インターネット投票などへの動きが進めば、選挙費用の削減にも繋がるかと思います。
話を戻します。
私はそうですが、自分に都合の良い解釈をします。これを「前向き」と言いますが、どちらかと言えば、自分の周りの人を前向きになれるような、明日が楽しみになるような行動や振る舞いの方を多くできるようにしたいです。
人間だけには限らないが、家畜といった動物や魚や鳥なども食べる私にとっては「命」というものをもっと大切にしなければならないと、多くの方が亡くなった時を振り返る時に改めて思いました。
年齢や性別、国籍や人種や住む地域や経済的な格差などで生きづらさを感じてる人も感じてない人も、世の中の仕組みや社会に対して不満を持っている人も、「共に生きる」というよりも、「共に歩む」から誰もが暮らしやすい社会を創造する事が出来るように。
いろんな人が世の中には居て、それがまぜこぜになって認めたり認めなかったりを超えて、まずは周りを尊重した上で始まって「カオス」な状態から想像を越えた創造が生まれやすいと思っています。
「私は誰も排除しません。」
を改めて宣言します。
オープンでフリーのノートとマガジンです。