阪神淡路大震災から30年を迎えるにあたって感じたこと
元兵庫県民で神戸市須磨区に住んでいた時に被災しました。幸い建物は一部損壊で済み、家族や近しい方が大きな被災をする事はありませんでした。
離島へ移住して5ヶ月目を迎えて、神戸への想いは変わる事はありません。
私の住む隠岐諸島はこれからは海上時化が増え、高速船は12月から3月までは運休になり、フェリーの欠航も増える事が予想されます。
まとまったお休みをいただいたので、0泊2日の行程で神戸に来ました。私の出来る事は追悼することしかできませんが、今年もしっかりと生きていますと報告をさせていただきました。
6434名の方が犠牲になり、ご遺族の方もそうですが、前日までは普通に生活をしてて、明日が普通に来るだろうと思った未明に震災が突然やってきました。
教訓など、数えきれくれなくて、思い出せないくらいたくさんあります。本当に備える事は大切だと痛感しています。
「しあわせ運べるように」という素晴らしい歌があります。その歌詞の中で
なくなった人の分も大切に生きていこう
という部分は私には重たすぎて持つことが出来ません。ただ毎日を後悔のないように、被災した時に感じた人間の良いところと悪いところを思い出しながら、目の前で起こることに対してはしっかりと受け止めて生きていこうと思っています。
今年の夏まで、神戸を生活圏の中にして神戸のために自分が出来ることのひとつとして、障がい者のサッカー教室の引率をしていました。
サッカーが当たり前に出来る事に感謝するとともに、神戸で生活される当事者にとってサッカーの素晴らしさと、人として相手を思いやる大切さや温かさを伝えられたらと約18年取り組んできました。
先月下旬にはその教え子たちが、島にやってきました。サッカーだけではなく、人とのつながりを大切にしてきて良かったと思いました。
街は震災がなかったかのように蘇った場所が増えました。でも「こころの復興」は永遠に続くと思っています。
神戸と隠岐諸島は遠いですが、こころの部分では、これからも神戸と神戸の人たちを想い続けていき、共に歩んでいきます。
昨日はヴィッセル神戸が5年ぶりに天皇杯を優勝しました。「神戸讃歌」のなかに
いのちある限り 神戸を愛したい
という歌詞があります。私もその想いを持って生きます。