ファッション偉人伝。
さて,今回は少しマニアックな話になってしまうかもですが,私がこいつらヤベェなとかなり影響を受けたデザイナー(ブランド)たちをご紹介したいと思います。
まずは『Azzedine Alaïa / アズディン・アライア』パイセン。
アライアについて
アライア(ALAÏA)はフランスのファッションブランド。
ボディコンシャスなスタイルがブランドのシグネチャー。その他、“花弁”のような丸みのあるウェーブ模様が特徴の「ビエンヌ」やグラフィカルパターンもブランドの特徴の1つ。
80年代のファッション界に一大ブームを巻き起こした。ボディコンシャススーツがエディター、アーティスト、モデルになどに絶大な支持を受ける。ボディコンシャス・スタイルは服に身体を押し込む事によってシルエット(ライン)を形成する手法とは、まったく逆の発想で、女性のボディーラインを際立たせるためのアイテムと捉えるコンセプトのもと、余計な装飾を排除し、女性の身体の美しいラインを自然に強調するものであり、体に寸分もなくフィットした。
スポーツウェアのような着心地で、女性の第二の「肌」とも評価された。影響は日本にも渡り、ボディコン・スーツを身にまとった女性たちが急増、ディスコ、ボディコンという言葉に代表されるような現象を巻き起こした。
| 出典 FASHION PRESS
それまではデコラティブな,いわゆる足し算で構築されていた洋服に対し,アライアの作る洋服は女性のボディーラインに沿って彫刻するかのような,引き算の美学を洋服のデザインに落とし込み,女性の今でこそ当たり前となった,“近代的なセクシー”という概念を初めて作ったデザイナーなのではないでしょうか。
そしてオートクチュール(高級仕立服)で培われた彼の確かな技法を,プレタポルテ(すぐ着られる服〈ready to wear〉)に反映させたエレガントでハイクオリティーな洋服は,女性にヌードより神秘的で知的なエロティシズムを纏わせました。
「準備ができたときが,コレクションを開催すべき時だ。」
という業界のシーズンカレンダー通りではない,自分の完璧なコンディションのタイミングでコレクションを発表し続けてきた彼のモノづくりへの姿勢も非常に先見の明を感じさせます。(今流行り?のサスティナビリティにも通じる精神ですね。サスティナビリティの私の見解はまたまとめたいと思います。)
パリのマレ地区にある彼の店舗でありアトリエ,そして住居でもあったエッフェル塔の建設と同時期に建てられたというそこにも訪れたことがありますが,煉瓦を基調とした壁面と,高天井の極めてミニマルでありながらも崇高で,どこか官能的なその空間はアライアの作品ともシンクロし,とても荘厳で激ヤバな世界観が表現されていました。
アライア師匠は2017年11月18日に77歳で亡くなっておられます。合掌。
そしてモロに影響を受けたかな?な,
『HELMUT LANG / ヘルムート・ラング』パイセン。
ヘルムート・ラングについて
ヘルムート・ラング(HELMUT LANG)は1956年、オーストリアのウィーン生まれ。
幼少時代は両親が離婚し、親権を持った母親が亡くなったため、祖父母に引き取られ、田舎で育つ。10歳でウィーンの父親の元に戻る。独学で服作りを学び、自分の服(Tシャツ等)をデザインして着ていたのが好評になり、友人の服を作りはじめる。そこから注文服を作る店の設立に向かう。
76年、ウィーンで自身のブランド「ヘルムート ラング」を設立。86年、パリのポンピドーセンターで開催された「ウィーン展」でパリコレクション( レディース)にデビュー。87年、メンズウェアでもパリ プレタポルテ・コレクションにデビュー。97年にビジネスの拠点をパリからニューヨークに移す。また98年からニューヨークコレクションに参加する。
97年、「ヘルムート ラング・ジーンズ」を発表。1998-1999 A/Wから「ヘルムート ラング・シャツ」をスタート。99年、「ヘルムート ラング・カシミア」を発表。 99年3月、プラダにヘルムート ラング株51%を買収され、プラダ傘下に入る。
2000年、CFDAアワードで「メンズウェア・デザイナー・オブ・ジ・イヤー」を受賞。2002 S/Sより発表の場をパリコレクションに戻す。 2004年12月、ヘルムート ラング株の残りの49%もプラダに取得され、プラダの完全子会社となる。
2005年1月、プラダグループはヘルムートラングのデザイナー退任を発表し、この発表は世界中を震撼させました。ヘルムートラングはファッションから引退したもののアーティストとしての活動を続けました。
| 出典 FASHION PRESS
ストリート,ミリタリー,スポーツ,あらゆるジャンルの垣根を越え,クロスオーバーさせた新しいモードスタイルを提案した鬼才。
私が思うに,ラング兄さんはもう今のデザイナーたち(私も含め)のやっていること全てが彼のパクりといっても過言ではないくらいにありとあらゆるデザイン,スタイルを完成させていたデザイナーです。
現在のモードシーンを強力に牽引する『Rick Owens / リック・オウエンス』でさえ彼のフォロワー(レディースではやはりアライア師匠の彫刻的なエッセンスも感じます。)なのではと感じざるをえません。
そして,『カルペディエム』を初めてみた時のインパクトは今でも鮮明に覚えています。アンダーグラウンドなクラフトマンシップの精神やテクニックをメンズウェアに落とし込んだデザインは当時とても斬新に見えました。しかし,彼らの『第二の「肌」』を追求した服作りもまた,アズディン・アライアのコンセプトを単に踏襲していただけと感じざるをえません。
他にもアズディン・アライアのコンセプト,ヘルムート・ラングのスタイルを継承したミクスチャー系の『キャロル・クリスチャン・ポエル』,『ボリス・ビジャン・サベリ』などなどすごいデザイナー,ブランドもたくさんありますが,やはりそれらも彼らの系譜なんだと感じざるをえません。
つまり現代のファッションを語るうえで,アズディン・アライアと,ヘルムート・ラングはすでに90年代までに現代のファッションスタイルを完成,完結させており,今のデザイナーたちのスピリットは全てこの2人に集約されるのではないでしょうか。
彼らはそれほどまでに抽象度の高いファッションデザイナーでした。
私が “ファッションは死んだ” と感じたのも,まだまだ全盛期だと思われていたヘルムート・ラングが早々にファッション業界から引退し,2008年に『マルタン・マルジェラ』,そして2013年にはアントワープ6といわれた偉大な6人のデザイナーのうちの1人,『アン・ドゥムルメステール』までもが引退したためで,アズディン・アライアが亡くなった頃にはもう完全にそれを理解しました。(しかしラング兄さんはホント感度高過ぎます…。)
これからの私たちデザイナーもさらに抽象度を高め,新しい表現方法を学び,実践していかなければならないと,いよいよそのような局面に立たされているように感じざるをえないことを感じざるをえません。
はい。今回はあばれる君に助けられた note でしたw
やりすぎ都市伝説好きの皆さまには楽しんでもらえたかと思いますw
そしてここに書かれたデザイナーたちは本当におすすめで,ヘルムート・ラングなんかは今でもヤフオクなどを漁ればアーカイブも見られるはずです。(ヴィンテージとして流行ってるみたいですね☺︎)
リアルタイムで彼らのスゴさを体感していただけないのが非常に残念ですが,ぜひご自身で彼らの人生,世界観を掘り下げてみてください。
普遍的な美しさと狂気がそこには宿っています。
高橋マリ子さん好きです。