見ること 考えること 作ること
ちょっと遅い冬休みで北海道の知床に行ってきました。目的は野鳥や野生動物の撮影です。一体どこを目指してるんだと周りにもよく言われたりしますが、冬の北海道でぼんやり考えてみたので自問自答も含めちょっと書いてみます。
写真を撮るということ
写真歴はなんだかんだと長く、初めての銀塩一眼レフを手に入れてから32年ほど、昔から旅行も好きだったので色々な場所にカメラを連れていきました。何故こんなに写真や映像を撮影することが長続きしていて、好きなのでしょう?
私はデザイン関連を職業とし、最近では写真撮影や映像制作も手がけています。つまり作るということで生活しているわけですが、この作るという行為は自分の中に何もない状態で作るということが、とても難しい行為だと考えています。
考えること
作るためには考えないとなりません。良し悪しの判断基準、審美眼、作ったものを見てもらったり使ってもらっている人達を思うこと、などなど…。それこそ作るために考えなければならない項目は膨大です。
理解すること
考えるためにはまず最初に理解することがとても重要です。考えなければならない膨大過ぎる情報の中から現実的に考えられる分量を効率よく見極め落とし込み、形にしていかなければなりません。
そして理解することの最初の入口が「見ること」で、これが今の私の場合には「撮影すること」 = バットの素振り的な「作ること」の基礎訓練になっています。
見ることの訓練 デッサン
見ることの訓練として有効だったのがデッサンで、二年半ほど美大予備校時代にデッサンをやっています。絵などを描かない方からすると、デッサンは描く訓練だと思われていますが、実はデッサンは見る訓練で、さらにいうと視覚と自分の手を動かし世界を理解する訓練です。
りんご一つを例に挙げると、机の上に置かれたりんごの状況や空間、光の具合、色、温度湿度、香り、味、重さ、触感、などなど…。一つのりんごからどれだけの情報を受け取れるかでデッサンの出来が決まってきます。
さらにいうと、そのりんごがどのような環境で育ったのか、どのように成長したのか、どういった仕組みで実るのか、想像を無限に広げていくことができ、広げ方にも様々な方法があります。受験のデッサンではここまで求められませんが、「見て理解して考えて想像して創造する」ものづくりの基本の姿勢はこの辺にあると考えています。
インプットとアウトプットのバランス
人は見るだけで理解するには訓練と集中力が必要で、視覚のみで受け取れる情報量を上げるのはなかなか難しかったりします。普段目に入っていても全く覚えていなかったり、意外に見落としていることが多いのもそのためです。それに比べデッサンや絵を描くことはアウトプット(描くこと)するために、意識的によく見てインプットして解像度を上げなければなりません、その分時間も使います。
写真や映像はデッサンほどの時間を使わず、被写体に対してシャッターを押し撮影して現像・編集するというアクションを起こすことで、見て理解する行為を強化します。この時間と手を動かすバランスが今の私には丁度良いのでしょう。もう少しして老後に時間ができたら、また改めてデッサンしたいなぁとぼんやり考えています。
より深く理解するために
話は少し逸れましたが、考えてみれば旅すること、山に登り写真や映像を撮ることは、自分が今まで見たことない景色や体験や知識を求め、世界を知り理解するための基礎訓練とインプットで、直接すぐに仕事に役立つ訳ではありませんが、必ず自分の基盤になっていくと信じています。デッサンや撮影の例でもわかるように、作る行為にはインプットとアウトプットのバランスが重要で、どちらが欠けても良い結果には繋がりません。
もちろん、本を読んだり映画を観たりも重要ですが、自分で経験することが、いちばんの財産になると考えています。
厳冬期の知床で見た果てしなく広がる風景、オオワシ・オジロワシの雄大さ、おしゃべりなオオハクチョウの愛らしさ、流氷の上で体から蒸気を発しながら日向ぼっこするアザラシの長閑さ、華奢ですが凛として美しいタンチョウヅル、厳しい自然の中で生きるエゾシカたちの勤勉さなどなど、今回の知床の野生動物撮影も素晴らしい体験と動物を通してみた世界の豊かさと厳しさに触れ感動して帰ってきました、旅はほんとうに素晴らしい。
この辺はまた写真や動画とともに改めてnoteに書こうかと思います。それでは、また。
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