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イタリアの孤児たちの家 世界最初の孤児院だそうです

以前、イタリアにMaria Innocenti という友人がいました。名字を英語で言うとInnocentです。つまり「罪がないこと」。

イタリアでは親を亡くした孤児とかを手厚く保護する施設が数百年前からありました。innocenti、つまり「罪がない、無垢な」ということで孤児たちのことを表していました。この建物はdegli Innocentiと呼ばれていてフィレンチェにあります。上の写真がその建物です。

世界初の孤児院だそうです。優しいイタリア人の気質か垣間見えるような気がしませんか?

夫が良く言っていました。前の戦争中、イタリアとドイツは同盟を結んで戦ったわけですが、イタリア人はドイツ人のように簡単に敵であっても殺してはしまわなかった、と。
ドイツの友人、日本に来た友人も何か命令があれば我々を簡単に殺してしまうだろう、って言ってました。ドイツ人気質ってそうなんでしょうかね・・・夫の考えです。

今は博物館になっています。赤ちゃんポストも今も保管されており、どうしても育てられなかった赤ちゃんをそこに入れていた母親が多かったとか・・・・。1875年まで使われていたそうです。

イタリアに旅した時、その施設を見ましたが、出入り口の上部、屋根の下には子供の情景をデザインした美しいレリーフの飾り(青の色のメダリオンです)がありました。それを印象深く覚えています。


ちょっとこのレリーフは生々しいですね

さて、Maria Innnocentiという名前ですが、彼女のご先祖様にはそのような施設で育った人がいるのだろう、ということです。

大英帝国でも、同様に孤児の名前は捨てられていた、見つけられた場所によって名付けられたようです。たとえば、Tmpleです。

ところでMaria Innocentiですが、「罪のないマリア」という意味です。

Mariaを付けた洗礼名は Maria Dorothy とか、よく知られたところではMaria Theresa とかありますが、Maria Dorothy は「悲しみのマリア」という意味です。ほかのイタリアの友人でMaria Grazieという人もいました。イタリア語はよくわからないのですが、「感謝しているマリア」かな、と勝手に思っています。

イスラエルに旅した時、キリストが十字架を背負って歩いた道を私たちも歩いてみました。現在、その道は、Via Dororosa 「悲しみの道」と呼ばれて今うs。

人の名、地名からも歴史を垣間見ることができますね。

この「悲しみの道」もキリストがこれから起こることを思いその岩のそばでさめざめと泣いたという岩や、その岩のあるゲッセマネの庭、キリストが捕らえられたところなどなどすべてわりとまとまった ところ、歩いて回れるところにあります。すべて私たちが泊まったホテルの近くにありました。

ホテルから丘を降りるとすぐのところにゲッセマネの庭があり、そこを降りるとハイウエーの上にかかっている端に出ます。

その端からダヴィデ、ソロモンなどのお墓も見えました。

橋を渡ると旧市街がすぐで、そこに悲しみの道はあるのです。

旧市街に入るには検問所がいくつもあり、何かあるといつも検問所は通行止めで大回りをしてホテルに帰らなければなりませんでした。

町中いたるところに隠しカメラはあるようでしたし、イスラエルって不思議な国でした。

中国もカメラはいたるところに設置されているようですね。ロシアはどうなんでしょうか?ソヴィエトには、2,3回行ったのですが、たぶんカメラの設置はあったんでしょうね。1970年代のことでしたから。

旅行の後でヨーロッパの友人に言われました。
「ホテルの部屋なんかも盗聴マイクがあるって聞いた」と。

地下鉄駅で英語の上手な親切な人に会ったりしましたが、あの人は当局の人だったのかなあ、と思ったりしました。

イスラエルの飛行場だってそういった人たちが私服で巡回していると聞きましたので。

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