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息を飲む景色 夢の中に入っていくような景色が広がっていた ヴェニス
私は数えきれないほどの旅行をしました。しかし、夢の中に入っていくような景色を見たのは数えるほどしかないと思います。ヴェニスを初めて見たのは50年前、コバルトブルーの色の上に浮かぶこの町はこの世のものとは思えませんでした。まさに、息を飲む景色だったのです。
何度、ヴェニスが舞台になった映画を見たでしょうか。サンマルコ広場に立つと私自身もそんな映画の中のヒロインになったような気がしていました。
ヴェニスが都市として発生したのは5世紀ごろから、フン族やロンゴバルド族の相次ぐ侵入、侵略から逃れるために海上の島に逃れこんでいたのだそうな。そして6世紀には彼らはヴェニスの12の島に村落を作り始め、その頃からリアルト島が常に中心地となっていったとか。その島にあるリアルト橋のあたりは海抜が高いため、水害に会うことが少なく、人々は自然とこの地に集まり年を形成していったということのようです。
リアルト橋が建設されたころは、それは木造で耐久性の問題があったり、火災が発生するやらで、建て替えることになったのだそうです。そして、16世紀にアントニオ・ダ・ポンテの案が採用され、石作り、大理石の橋として生まれ変わったのだそう。以前の橋は跳ね橋だったのが、この新しい橋は、箸の下を船が通ることを念頭にデザインされアーチは単一の太鼓橋になりました。
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この美しいリアルト橋は別名があり「白い巨象」と呼ばれているそうです。キャナル・グランデにかかる4つの橋の中ではもっとも有名なのではないでしょうか。橋の上には今ではお店も並んでいます。
リアルト橋から眺めるかなキャナル・グランデの眺めの美しさは、また、格別ではないでしょうか。この橋のことをシェークスピアは『ヴェニスの商人』において、何回も言及しています。
ヴェニスは「アドリア海の花嫁」と呼ばれています。大小118の島々からなるそうで、その分、それをつなぐ橋も多いというわけ。400もあるそうです。市の中央を運河が走り、そこからは縦横に走る160の細かい運河で結ばれています。家の前には水中から突き出しているパラと呼ばれる柱があって、それはゴンドラをつないでおくものだそうです。
この町には他の記事で書いたトルコへの旅行の帰りに寄ったのが初めてでした。フェリーでヴェニスに到着してから、迷路のようになった道、キャナルの上を大小の橋を渡りながらユースホステルに向かったのを覚えています。当時も観光客は多かったと思います。そこのユースホステルはそれまで泊まったことのあるどこのユースホステルよりも大きかった…数十も並んでいるシャワー設備を見ながら、まるでナチキャンプみたいだ、と思ったのを覚えています。
ゴンドラも乗りました。入り組んだキャナルを時に家の壁にぶつかってゴツンゴツンと音を立てながらゴンドラは進みました。外海にも出て外からヴェニスの家並みを見ることもできました。
この町には一台も車がありません。バスと呼ばれるものはあるのですが、これは乗り合い船のことだそうです。
今は、観光客の多さにヴェニスの町は沈みかけているのだそうです。人々の交流は果てしなく、この町がどれだけ潤っていたか。この町にヨーロッパで最初のコーヒーショップができたのです。お金だけでなく人々も集まってきていました。このことに関しては、また、他の機会に書きたいと思います。
ヨーロッパ旅行初心者の人にはイタリアは本当にお勧めです。首都ローマだけでなくたくさんの町、村に見なければならないもの、場所があります。ホテルの外に出るとそこにはもう「美」があふれているのですから。