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三寺参り 数年前に書いたエッセイです

今年のお正月はタイで迎えた。日本人たるもの元旦は元旦らしく気持ちを新たに、ということで夫と私は三社参りならぬ三寺参りに出かけた。

まずはホテルの近くのお寺へ足を運んだ。日本人の初詣でと同様に、その日はタイの人々も家族でお寺に出向くようであった。彼らは敬虔な仏教徒だ。大勢の人々が、それぞれに自分たちの晴れの日の衣装であろう衣服を身にまとい、お寺に参っていた。そこは華やかな喧騒に包まれていた。

次は乗り合いタクシー、サムローを乗り継いで三寺、四寺目へと向かった。

そうこうしているうちに、私たちは街からだんだんに離れてしまった。郊外の山中にあるお寺に行き着いた時には、駐車場には個人の車が一台、寺の境内にはに、三人の人影しかなかった。

二十分もその山寺にいただろうか。「そんな日に当り前だろうが」と言われれば、それは「ごもっとも」と返すしかないのだが、困ったことになった。サムローがやって来ない。そんな晴れの日に、そんな辺ぴなお寺にサムローでやってくるのは、私たちのようなもの好きな観光客でしかなかったのか。口には出さなかったが、私はそんな感慨に陥っていた。夫も同様なことを思っていただろう。

静寂な山の中のお寺でサムローをずっと待った。お正月のような特別な日に、じっと同じ場所に座って深く何かを考えるにはちょうど良かったかもしれない。悔し紛れにそんなことを考えたりした。

どれくらい待っただろうか、やっと木立の合間にそれの青い影が見えた。

「やれやれ」
夫と私の心からの安どの気持ちだった。

サムローからは三人の若い女性が降り立ってきた。私たちを一瞥した運転手は何か言った。

「少し待っているように」

そう、言われたのだと私たちは解釈した。他に何が考えられたであろうか。やっと目の前にやってきたサムローだ、私たちは何であろうとそんなことを気にするはずもなく、さっさとそれに乗り込んだ。

「一番いい席に座るよ」
と私ははくと、運転手席のすぐ後ろに席をとった。夫は私の向かい側に座り込んだ。

「帰りの足は確保した」
「このままで長く待っていてももう構わんわ」

二人の正直な気持ちだった。

私達は、とにかく帰りのサムローの中にいた。後は、その寺に降り立った女性と運転手を待つのみであった。

十五分も待ったであろうか。彼らが返ってきた。女性たちはにこにこしながら乗り込んできた。私たちも微笑みを返した。何しろ、何を言っても通じそうにないのだから「友人」だということを表すには微笑むしかないではないか。

彼女たちには私たちの後ろ側の席に座ってもらった。当然のことと思った。

夫と私はまだ続けてどこかのお寺に行ってもよいと思っていた。夫が運転手さんに地図上のあるお寺を指示した。運転手さんの英語はよくわからなかった。どこまで彼は夫の言ったことを理解してくれたのか、コミュニケーションにはなっていなかった。女性たちもほんの少しの英語しかしゃべらなかった。

車はゆっくり動き出した。すぐに近くのもう一つのお寺に着いた。夫が地図上で指さしたお寺ではなかった。

「そうか、彼らも三寺参りをしているんだ。じゃ、私たちも彼らについて回らしてもらおう」

着いたお寺で彼らは熱心に拝んでいた。床に額を擦り付けるようにして。敬虔な仏教徒とはそのように熱心に参拝するんだ、そう思った。そのお寺では彼らはより長く仏様に向かってお祈りをしていた。タイの人々の祈りの姿は私たちの胸に訴えるものがある、と思った。

そのお寺の参拝が終わると次のお寺に移動した。その頃になって、それまでの彼らの話ぶりや行動から、私たちは何かものすごい大勘違いをしていたことに気が付いた。彼らの英語は片言ではあったが、彼らのことが何とか少しずつ分かってきた。

女性たちは姉妹で、運転手さんは彼らの父親だということが判明した。想像も手伝ってお参りは彼らの亡くなった母親、奥さんの供養のためだったということが分かってきた。彼女のためにそんなにも一心に参拝しているのに、私たちは何というずうずうしさで邪魔をしていたのだろうか。彼らのその姿も私たちにはカメラの被写体でしかなかったのだから。私たちは彼らの神聖なお寺巡り、一日ずっと続くかもしれないお寺参りの「こぶ」になっていたのだ。恐縮してしまった私たちはもうはしゃいではいられなかった。

彼らに同行しての四寺目は、その数時間前に私達だけで参ったお寺だったということが分かって、そこで彼らとは別れることにした。

営業日だとなにがしかの収入があったはずの長距離ランであった。私たちは丁寧に礼を言い、失礼かと思いつつお金を包んでお父さんに渡した。

「カップンカッ(タイ語でありがとうの意味)」

それだけの言葉で自分の気持ちが表せたとは思えない。私たちはとにかく知っているタイ語を駆使し日本式に深く会釈をしていた。

実に横柄な観光客が、サムローの一番いい席を分捕って、あっちに行けこっちに行けと好き放題を言った。それでも優しく接してくれたタイの家族だった。悪気はなかったとはいえ、ちゃっかり便乗してしまった私たちを許容してくれた彼ら。

夫と私はタイ人の懐の深さ、温かさをひとしきり話し合った。さすが「微笑みの国」と呼ばれる観光地ではないか。

だから私たちは毎年その微笑みに会いにタイへ出かけていくです。

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一番上の写真はチェンマイにあるしろいお寺です。タイのお寺ってどの寺も二つとして同じものがなくいくつ回っても興味深いです。

この16日からまたチェンマイに出かけます。

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