何百万人ファンがいても、自分に正直でいられないのは本当に苦しいことなのかもしれない
この記事を読んで、感じた事を書きたくなった。
幸せと言うのは、とても移ろいやすい感情だと思う。付き合い始めの頃は、恋人とただ一緒にいられれば幸せだったのが、段々話が噛み合わなくなり一緒にいることがストレスになる。多くのみなさんが経験したようなことだろう。「昨日の自分が幸せになった行為」が「今日の自分を幸せにする行為」とは限らないと言うのが、人間の感情の厄介なところだと思う。人間は毎日毎分毎秒学習する生き物だから、同じ刺激を与えられるとその分慣れて、最初に味わった感動や幸福感などがどんどん薄れてしまう。
心からやりたいと思って始めた仕事なのに、1年後にはもう辞めたくなってるなんてことはざらにある。と言うか、ぼくの場合は飽きっぽいのでそんな事ばかりだ。多分一年も興味が持続してない。次の面白いテーマを選択して、今あるテーマを誰かに受け取ってもらう。今ある仕事を辞めることによって現部署の人達が被る迷惑よりも、自分の興味を優先できた、自分勝手になれていたのだと思う。一応自分なりの理屈としては「仕事は定期的に変化があった方が面白い」と言うものがあるし、現部署の人達にも自分が抜けることで色々な変化が起こるはず。という思惑はあったが、そんなものは自分が抜けるための後付け理由に過ぎない。ただぼく自身の思いとしては、自分がやりたいと思って始めた事であっても、全然辞めても良いと思うし、いつでも辞められる自由があると思っている。だからこそ、続けることの価値が増すのだとも。
翻って、ケイト・スペードさんとアンソニー・ボーデインさんのお二人。彼らは自分で好きで始めた仕事が世の中に受け入れられ、多くの人を励まし勇気付け幸せにして、金銭的リターンも十分過ぎるほどあった方達だ。彼らのような素晴らしい仕事も、スターとしての生活もぼくは経験していない。ただ、ちょっとだけ想像力を働かせてみたい。自分が好きで始めたことが周りを勇気付け・元気付け、知らず知らずのうちに周りの期待が巨大化してしまった人間が、味わうであろう苦しさについて。
自分が好きで始めた仕事で、周りに喜んでもらえるなんて凄い幸せ。しかも金銭的にも恵まれてるし、みんなにも希望を与えている。みんな明るくポジティブなキャラを自分に期待しているし、それに応えなきゃ。こういうキャラである以上は品行方正でいなくちゃ。弱音を吐く、愚痴を言う、嫌いな奴に毒づく、生活感を醸し出す、下品な振舞いや言動をするとかは控えよう。周りやファンに心配を掛けるから。自分は色々な物を与えられてるんだから、我慢するのは当たり前。こういう苦労が出来ることも幸せだと思わなきゃ。
人間だから泣きたいことも、周りに八つ当たりしたいことも、好きで始めた仕事を投げ出したいことも、みんなの前で笑顔でいる気分じゃなかったことも、当然あったはず。でも、みんなから愛されているのは「明るくポジティブな自分」であって、「暗く落ち込んでる自分」ではない。だから「暗く落ち込んでる自分」は誰にも見せてはいけない。
本人達の心境を正しく現しているとは全く思っていないが、ぼくなりに想像力を働かせると、こんな事を感じていたのかもと推測している。
もし、苦しい部分を誰にも吐き出せなかったのであれば、こんな我慢を何年も何十年も人知れずしていたのであれば、その孤独の深さをぼくが理解することは不可能だ。ぼくの場合は途中のどこかで弱音を吐いたり、逃げてしまう気がするので、こんなに深い孤独までは到達し得ないと思う。「自殺とは最も無縁な人だと思っていた」と言うのは、ボーデインさんの御母堂のコメントだ。コメントから察するに、家族や近しい友人にも弱音・愚痴などを漏らしていなかったのだろう。ご家族や友人の悔恨の深さは計り知れない。当然、亡くなったご本人たちもきっと残された人達の事は想像しただろうが、それすらどうでも良くなってしまうくらい、生きているのが苦しくなってしまったのだろう。お二人の事は存じ上げていなかったが、ご冥福を祈りたい。
他人の心の内を知るのはとても困難だ。内心が言葉や態度に現れないと、キャッチできない。言葉や態度に現してくれても、自分のアンテナが働いてないとキャッチできない。内心が分かったとしても、その苦しみをどう解放してあげれば良いか分からない時も多い。誰かの役に立つと言うのはかくも難しく、だからこそ価値がある行為なのだと思う。
そして、地味に難しいのが「自分に正直になる」なのだ。他人の意見を浴びるのが当たり前になると、自分が本当は何がしたいのか、簡単に見失ってしまう。精神が健やかであるために「自分に正直になる」は必要な要素だと思う。ただ、それだけあれば十分なわけではないとも感じる。身体も色々な栄養素を必要とするように、精神にも色々な栄養素が必要なのだろう。人の心は複雑で変化しやすい。その時々で、必要な栄養素が違うのだ。
そんな事を考えていたら、テジュンさんの記事の一節を読んでとても共感した。
それと同じくらい、自分ひとりで考える時間を取らないと、どんどん感情や思想を他人に明け渡していくようになる。それを避けるためには一人きりの時間が必要だし、僕がほぼ毎日走ったり泳いだりする理由の一つはそういうところにある。
他人に自分を正しく理解してもらうのは本当に困難過ぎるので、そこに期待し過ぎると裏切られることの連続になる。とすると自分で自分を理解するしかない。でないと、この世の誰一人自分を理解する人間がいなくなってしまう。他人からの刺激を受けないひとりきりの時間を、日常生活に戻ってからも意識して取りたい。