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「生き物」である自分
トレイルランニングに関する記事はどうやらあまり人気がないようだ。前回の日光は中禅寺湖でのトレイルランニングの記事は他の記事に比べてもスキ数が少なく、その人気のなさを如実に物語っている。
が、そんな中でも性懲りも無くトレイルランニングに関する記事を書こうと思う。といっても、今回の本題はトレイルランニングを通して感じたことだ。
なぜわざわざトレイルランニングなんかをするかと思われる方も多いだろう。私に関しては主に3つの理由がある。
1つ目は、単純に走るのが好きだということ。元々陸上部だったこともあり、そもそも走ることは私にとって日常的な行為である。「走ることは楽しい」というのは、地球に重力があるのと同じくらいに私にとっては当たり前のことなのだ。
2つ目は、自然に触れたい、ということ。ここ最近、定期的に自然の中に身を置くことを心が求めているように感じていた。ずっと都会にいるとどこかすり減っているのだ。自然の中に身を置くことで、すり減った自分を回復させたかった。
3つ目は、ちょっとしたスリルを味わいたい、ということ。人のいない山奥で熊が出る恐怖の中走ったり、足を滑らせると転落の危険がある場所を進むのは、きっと恐怖と同時に快感を得られる行為なのだろう。
そんなわけで祝日に南房総市にある「花嫁街道」を走ってきた。内房線の和田浦駅からスタートし、低い山の中をぐるっと一周する、全長12kmちょっとのコースだ。
山に向かうまでは舗装されたコンクリートの道を行く。山の入り口付近には、黒い羽に赤と青の模様を持つ、指の関節ひとつ分ほどの大きさの虫が私を出迎えてくれた。
山に入って最初のあたりはひどいぬかるみときつめの傾斜で正直面食らった。初心者向けのコースだと聞いていたのに、もしこれがずっと続くとなるとかなりしんどいランになることが懸念された。
ただ、そこを抜けるとあとは比較的走りやすい道が多かった。アップダウンも程よく散りばめられていて、終始気持ちよく走ることができた。
途中何組かのハイカーとすれ違った。皆一様に気持ちのいい挨拶を返してくれた。
10時半ごろから走り始めて12時過ぎには出発地点だったゴールに到達していた。出迎えてくれた指の関節ひとつ分ほどの黒い虫はまだその辺りを飛び跳ねていた。
正直、少し物足りなかった。
帰りの電車を調べてみると、和田浦駅から安房鴨川駅まで鈍行で行き、安房鴨川駅を14時8分に出発する特急電車に乗るというルートが出てきた。
安房鴨川駅までは12kmほどある。歩くと3時間程度かかるが、走れば1時間半ほどでいけるはず。その時時刻は12時半だったので、ギリギリ間に合うかどうか。
とりあえず走ってみようと思い、海沿いの道をひたすら走る。途中適宜歩きながら、13時50分に安房鴨川駅に到着。
が、乗ろうと思った特急電車が満席で、結局鈍行で帰る羽目になった、というのがその日のオチだった。
先ほどトレイルランニングをする理由を3つ挙げたが、一番大きなものはやはり3つ目のスリルだと思う。あらゆるものに守られた日常生活から抜け出して、気をつけなければ簡単に死が待ち受けている状況に身を置くことで、麻痺している何かがリセットされるように感じる。歩きスマホをしながら赤信号を渡っても無傷だなんて、きっと何かが間違っているのだ。
走りながら、「もしこの山の中で生活しなければならないとしたら、どう生き延びようか」などと考える。もちろん答えは出ないが、日々の生活が当たり前ではないことを感じるいいきっかけとなる。「人間」ばかりしていると忘れがちな「生き物」である自分を思い出すのだ。それは今の自分にはとてもいい方向に作用していると思う。
今まで私はとても怠惰に生活してきたように思う。これからはきっと、もっときちんと生活していかなければならないのだろう。
自然の中で少しだけ死に近づくことで、私は忘れかけていた大切なものを取り戻そうとしている。それが今の自分には、とても重要なことであるように感じている。
さて、次はどこを走ろうかな。どうやって死に近づこうかな。
怖さ半分、楽しみ半分。
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