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空の上、母の夢

かなり余裕を持って家を出たつもりだったが、シャルル・ド・ゴール空港に着いたのは離陸の3時間前、朝9時半だった。9時前に着く予定だったが、道中あまり時間を気にしていなかったので、どこでどう時間を取られていたのかがよくわからない。目の前でバスを逃したというのが2回あったので、それが響いたのだろうか。あるいは、ふたつのスーツケースを引きずりながらの徒歩移動に思いの外時間がかかったのかもしれない。

そこからさらに、予想外にも免税手続きに時間を取られた。アントワープとミラノで買い物をした分の免税は、機械では受け付けてくれず、通関士(であってるのかな?)がいる列に並ばなければならなかった。窓口は4つあるものの、うちふたつはそれぞれ家族が延々と占領していた。免税手続きになぜそんなにも時間がかかるのかが不思議でならなかったが、そのせいもあって結局、そこで30分ほど足止めを食らった。

私の免税手続き自体はすぐ終わったが、担当の人は横の通関士とずっと大声で話し続けていた。

「1週間に1回くらいはトレーニングが必要なんだ」

なんのトレーニングかはよくわからなかったが、彼はずっとその「1週間に1回」というのを繰り返していた。

ヨーロッパの国にあちこち行くが、働く人の態度の悪さというのは、パリが群を抜いているように今回改めて感じた。6年のパリ生活でそれにはもう慣れっこになっているので、他の国に行って何らかのサービスを受ける際にきちんとした対応をされるとそれだけで得した気分になる。だからもはやパリのサービスを改善してほしいとは思わなくなってしまった。


チェックインの列に並んだのは10時過ぎになった。もちろん搭乗には何の問題もないタイミングだが、ここはパリ、どんなトラブルが待ち受けているかわからないので、早め早めの行動が鉄則なのだ。一度、空港のストライキの影響で出国審査にありえないほど時間がかかって痛い目にあったことがある。そういった予期せぬことがそれなりの確率で起こってしまうのだ。

チェックインを済ませたのが10時半ごろ。私の後ろにはもう数えるほどしか人がいなかったので、皆とにかく前もって空港に来ているようだ。

出国審査、手荷物検査はスムーズに済み、なんだかんだで11時には搭乗ゲート付近にたどり着いた。結局、「予期せぬこと」は何も起こらずに済んだ。飛行機も時間通りに出発するようだ。よかった。

軽めのお昼ご飯を食べ、急な仕事の対応事項をこなしていたらすぐに搭乗となった。

席についた途端から眠くて仕方がなかった。前日は妙な形で寝落ちしてしまった関係であまり眠れていなかったし、大きなスーツケースふたつを転がしながら空港まで来るだけでひどく疲れていたのだ。

離陸前にはすでにウトウトしていた。離陸の瞬間は覚えているが、その直後にはもう夢の中だった。

最初の食事が運ばれてきたのは離陸してすぐだった。いつも私の口には合わない中国東方航空の機内食だったが、今回は悪くなかった。食事を終えて、頭痛薬を飲み、私はまたすぐに夢の中へと舞い戻った。


私は家の台所にいる。母はダイニングテーブルの私と向き合う位置に座っている。

皿うどんを作っている。あんかけをパリパリの麺の上に乗せる。

「私はほとんど食べられないから」

母はいう。私の記憶よりも、髪が幾分白い。

そうか、彼女はもう死んでいるんだ。

「何か食べられるものはないかな?」

私はそう言って、台所のいくつかのひきだしを開ける。そこには不器用に切られた柿の皮が散らばっている。

「食べたいものがあったら言ってね。何でも買ってくるから…」

私はそこで泣き出す。


「一緒に外で食べよう」

私は皿うどんを持って、母に促されて外へ出る。誰もいない、埃っぽい夕暮れ時の道だ。車道と歩道の間に座るのにちょうどいいほどの段差がある。最初に腰掛けようとした場所には足元に排水溝があったので移動しようとしたが、結局なんだかその排水溝のところがいいような気がして、そこに戻る。目の前には小さなブックオフがある。客はおろか、店員さんもいないみたいだ。

「気持ちいいね」

母はそう口にする。彼女は外の心地よい風を好む。昔からそうだった。

寂しい通りの綺麗な夕焼けに、私は胸を打たれ、母を抱きしめる。


目が覚めると機内は真っ暗だった。

何気なくモニターを点けると、経由地の上海まであとちょうど5時間と出ていた。ということは合計で6時間ほど寝ていたことになる。思ったよりもしっかり寝たようだ。

ひどく鮮明な夢だった。2年前に亡くなった母がもし生きていたら、きっとあの程度老けているだろう、というところまで克明だった。


高いところを通っているから、天国からアクセスしやすいのだろうか。


そんなわけない、か…


母に会いに行きたくなってしまった。もちろん、もうそれが不可能なことは、よくわかっているのだけれども。

私は今、どうやら弱っているようだ。だからきっと、あんな夢を見てしまうのだろう。


この世を生きるには、強くなければならないのだろうか。私にはよくわからなくなってしまうことがある。

弱い人が上手に生きる方法はないのだろうか。母はどうやって最期まで生きていたのだろう。

今度会った時に、聞いてみようと思う。


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