インプラントと火葬
いつの頃か正確に思い出せないのだが、それはブランドを立ち上げる決意をした時からブランドローンチまでの間の、まだ私がフランス在住だったころのことだった。ということは2019年2月から2020年9月のどこかになる。
何かすごく私を安心させることがあったのは覚えているのだが、それも具体的に何だったかまでは思い出せない。フランスでの会社の登記が完了した、ブランドローンチの目処が立った、香りが完成した…なんだったっけ。
その安心した瞬間に、口の中である異変が起こった。
私から見て左側、上顎の奥から2番目の歯が取れたのだ。痛みもなく、ポロッと。
その歯は小学生の時に処置をして被せ物をしてあった。先が見えず、漠然とした緊張感の中での極貧フランス生活を支えてくれた歯は、きっとかなり長いことボロボロのまま頑張っていたのだと思うが、私がようやく勝ち得た小さな希望の光を目にして安心と共に力尽きたのだろう。
その死はとても安らかなものだった。笑っているようですらあった。
歯だけど。
その後数年ぶりの歯医者に赴いた。フランスで歯医者に行くのははじめてのことだったのでひどく緊張したが、院内はとても清潔で快適、先生もとても優しかったことをよく覚えている。
歯の処置に関するいくつかの方法の説明を受け、「長い目で見るとインプラントが一番いい」という先生の言葉を信じて、インプラントにすることにした。
ただ、2、3度通院し、残っていた歯の根っこをきれい取り除いたところでコロナ禍になった。緊急性の低い歯医者に行くことなどもちろんできず、私のフランス生活を支えてくれた奥歯がいたところはしばらくの間空席となった。
そこから4年以上たったが、つい最近重い腰を上げ、ようやくインプラントの処置を再開した。先日は1番の山場、ボルトを骨に埋め込む手術をしてもらった。歯茎を切って骨に穴をあけ、そこにインプラントを差し込むためのボルトを埋め込む、という、言葉にするとなかなかに仰々しいものだったが、手術はスムーズに終了し、術中も術後も、ほぼ痛みを感じなかった。一番痛かったのは麻酔の最初の“チクッ”くらいなものだった。
ボルトが埋め込まれたことで、違和感がある、とか、顔の左側だけ重い、とか、そういった体感の変化はもちろんない。もちろんないが、そこにそれは確かに存在していると考えると、なんだか不思議な気持ちになる。
ふと、母の火葬のことを思い出した。母の身体の入った大きな木の箱を飲み込んだ炉から吐き出されたのは、バラバラになった母の骨と、木の箱に施されていた金属製の釘だけだった。もっとたくさんのものが残ると思っていた私は、その量の少なさにひどく驚いた。私はそれらを目にしながら、生前の母の存在意義について考えてみたが、よくわからなくなってしまった。あんなに一生懸命生きた母が、ほとんど何も残さずに消えてしまったのだ。
私が火葬されたとしたら、この歯に埋め込まれたボトルは残るのだろうか、とふと思った。手術を担当した歯科医に聞いてみようかとも考えたが、彼は私の高校の後輩ということもあり、なんだか恥ずかしくなってやめた。
もし仮に、火葬場の炉からその小さなネジが見つかったとして、それは私の存在意義を象徴するものになってくれるだろうか。そのネジを見た人は、どんなことを考えるのだろう。そもそも、私が死を迎えるときに、私のことをきちんと火葬してくれる人はいるのだろうか。
誰にも見られずに、ひっそりと焼かれておしまいかもしれない。
いずれにしても、私が死んだときに、ネジだけは残ってくれると思うと、私は不思議と安心した。そして、そのネジの名誉のためにも、私は恥ずかしくない人生を送らなければならない、と思ったのだ。
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